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【携帯電話が無かった時代】昭和を懐かしんでみました

雑記
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それ程歳を取ったつもりはないのですが、元号が2つも変わったとなると嫌でも自覚させられますね。そして子供の頃を振り返ると、今とはかなり違っている所があります。今回はそんな違いを懐かしんでみました。

2つも元号が変わったんだから当然?昭和と今の違い

元号が令和に変わってもう結構日が経ちました。

昭和生まれの身としては、かなり歳を取った気にさせてくれる変化でしたね。なにせ、これから生まれてくる子たちからは、自分たちが明治生まれの人達を見るような目で見られるわけですから。

それにしても、2つも元号が変わったから当然なのかもしれませんが、昭和が遠い過去になった気がしますね。

実際、私が子供だった昭和の頃と、今とではかなり異なっていることが多いように思えます。ちょっとこの機会に思い出してみました。

実はこの前、実家に電話をかけた時、電話番号を忘れてしまっていたことに気付いたんだよね。

それがこの記事を書いたきっかけ?

昭和の生活

日常生活を送る上で、昭和の時代が今と決定的に異なる点は携帯電話が無かったことではないでしょうか?逆に考えると携帯電話のお陰でかなり生活様式が変わったような気がします。

携帯電話が無かった

今では生活にほぼ必須とも思えるスマートフォン(携帯電話)。一昔前までなかったんですよね。今考えるとこれなしでどうやって日常生活を送っていたか想像するのも難しい位です。

電話はほとんど黒電話

北朝鮮の書記長の髪型を5chとかでは「黒電話」なんて言ってたりしますが、この「黒電話」って最近では見たことない人もかなりいるのでは?

でも昔、一般家庭にはこれしかありませんでした。

当然、電話番号を記憶するような機能は付いていませんから、電話の横には電話帳(当然手書き)がセットで置いてありました。

ちなみに黒電話は電源不要なので、停電の時も使えるというメリットがありました。

電話番号は覚えるものだった

これが今考えると最大のミステリー。

昔はよくかける友達の電話番号は記憶していました。はっきり覚えていませんが、私も数十人レベルで覚えていたはずです。今じゃ考えられませんよね。

もしかしたら世の中便利になると、人間の脳は退化するのかもしれません。

緊張の一瞬!気になるあの子にアプローチ

黒電話が普通だった頃に思春期を過ごした人なら思い出がいくつかあるんじゃないですか?

気になる女の子にアプローチするのに最初は電話。でもその電話は一家に一台しかないのです。しかも当時、家の電話が鳴った時、出るのは大人と相場が決まっていました。

呼び出し音が鳴る中「お母さんが出てくれますように」と祈るのですが、こういうときは大抵お父さんが出たりするんですよね。

ただ、今考えるとハードルが高い分、それを越えたときの嬉しさは大きかったようにも思えます。不便な所も楽しかったといった感じでしょうか。

その点、みんなが携帯電話を持っている今の子たちは手軽な分、そういった嬉しさが味わえず不憫な気もしますね。

まぁ圧倒的に羨ましいですが。

今は電話ですらないから、ハードルは下がりまくりよ。

待ち合わせで合えないとそのまま帰っちゃうことも!

やっとこさデートの約束を取り付けても、待ち合わせ場所で会えないと一大事。何かの理由で遅刻しそうになってもそれを伝える術は無いのです。

こちらが遅刻したら女の子は帰っちゃうかもしれないので、何があっても間に合うようにかなり早く着くように家を出ましたね~

時間にルーズな人が増えたような気がしますが、携帯電話のせいでしょうか?

エアコンもなかった

今でも北海道だとエアコンが無い家は多いようですね。

でも、一昔前は東京でも一般家庭にはほとんどエアコンなんてありませんでした。

私の実家に初めてエアコンが設置されたのは私が小学校の頃だったから40年前位だったかな?

一昔というより結構昔ね。

昔は暑くなかった?それともみんな我慢強かった?

ただ、それまでは真夏でも普通に寝てたんですよね。暑くて寝られない夜というのは記憶に無いんです。

単にみんな我慢強かったんですかね?それともこの40年で温暖化が進んだのでしょうか?

ちなみに、エアコンが入ったら入ったで、それなしではいられなくなりました。エアコンが入ったのは居間だけだったので、一家4人川の字で寝てましたね。

今は子供が大きくなったら川の字なんてあまりないんでしょうね。

サラリーマンの給料は現金手渡しだった

サラリーマンの給料も昔は封筒に現金が入った状態で手渡しでしたね。

流石に私が就職した時は銀行振り込みでしたが、子供の頃父親が母親に給料袋を手渡すのを見たことがあります。

まぁ現金を受け取ると、丸々落としちゃうとか、盗まれちゃった時が大変だとは思いますが、”貰った感”は大きかったんでしょうね。

お父さんの権威はこれで守られていた?

昔テレビでやってたのを思い出したのですが、この給料が現金手渡しから銀行振り込みに変わったことで、家庭でのお父さんの権威が失墜したとかなんとか。

確かに「今月はこんだけ稼いできてやったぜ!」って現金を手渡しした方が家族から感謝されそうですよね。

テレビドラマとかでも、昔の番組のお父さんは威厳がある設定が多かったのに、昭和後半ではお母さんと立場が逆転しているものが多くなりましたね。

パソコンなんてなかった

これは結構最近の話・・・といっても20年ちょっと前の話ですね。

私が大学生の時はワードやエクセルは既にありました。しかし、それを動かすマシンはまだパーソナルではなく、ただのコンピューターでしたね(笑)

大学の研究室に何台かと、学科共有のコンピューター室に何台かあるだけでした。

そういえば、その頃はWindowsもなかったな。

卒論書くのに大学のPCには行列が・・・

そんな時代でも卒論はワード(当時は一太郎の方がシェアが高かったかな?)で書くのが当たり前でしたから、共有のコンピューターは予約待ちで一杯みたいな感じでしたね。

わざわざ夜中に大学に行って徹夜で作業した日も結構ありました。

そうそう、インターネット自体は当然存在していたのでしょうが、この頃のコンピューターはネットなんかに接続されていることはありませんでした。

英語論文を引用するときなんて、紙の論文を横に置いて手で打ち込んでました。

駅に自動改札はなかった

今でも地方だと駅に自動改札が無いことがあるようですが、私の子供の頃は東京でも自動改札なんてありませんでした(今は切符すらなくなりつつありますね)。

昔は改札1つに1人駅員さんが立っていて、切符を切っていました(出口も同様に駅員さんが立っていて切符を回収していました)。

料金が足りない人を瞬時に判別する能力は神業に見えましたね。

駅にはいつも小気味の良いリズムが刻まれていた

この切符を切る時のハサミみたいな道具(改札鋏:かいさつきょう)が面白くて、切る時に取っ手側が当たるように出来てるんです(左のイラストだと、上側の部分がカチカチ当たるんです)。

で、駅員さんはカチカチ鳴らしながら切符を切るんですが、お客さんとお客さんの間の少しのタイミングにリズムを刻んでるんですよね。

カチ、カチ、カチ、カチーン(切符を切る音)、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチーン(切符を切る音)、カチ、カチ・・・みたいな。

どんなものだったか興味のある方は「1990 新宿駅 有人改札」で検索すると動画がヒットするので見てみて下さい。

30年くらい前の話ね。

便利なものが出てくると、それに合わせて人の方が変わっていく

ぱっと思いつくままに取り留めなく書いてしまいましたが、結構懐かしいものもあったでしょう?

それにしても、人の生活を便利にする新しい道具の出現によって、便利になることはもちろん、それに合わせて人間の方が生活様式を変えていくなんてことも結構ありますね。

たった?数十年でこれだけ変わったんですから、今後数十年でも色々変わっていくのでしょうね。歳を取ってもその変化に乗り遅れないようにしたいものです。

SFみたいに自動車が空を飛んでるかもしれませんね。

空を飛ぶ自動車ならもう作ってる企業があるわよ。

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