生活の中のボラティリティ(セミリタイア生活)

セミリタイア生活

金融関連の用語で「ボラティリティ」というものがあります。金融商品などの価格の変動率の大きさを表す言葉なんですが、変動率の大きさといえば生活の中にもありますね。今日ふとそんなことを考えたので記事にしてみました。

ボラティリティとは?

「ボラティリティ」という言葉は、価格の変動率の大きさを表わします。金融商品などで、価格の値動きが大きいほどボラティリティは高く、価格の値動きが小さいほどボラティリティは低いと表現します。

基本的に金融関連の用語ですね。

でも、今回のお話は金融とは関係無いわよ。

生活の中にもボラティリティはある?

上記の通り「ボラティリティ」という言葉は金融関連の用語です。でも、金融業界に努めている人の中には価格だけではなく、何かの変動性(振れ幅)が大きい時に”ボラが大きい”なんて言ったりします。

例えば気分屋で機嫌の良い・悪いが一日の中でも大きく変動する上司なんかがいれば、「あのおっさんは(機嫌の)ボラが高いから話しかけるタイミングが難しいよね~」なんていったりします。

まぁ運用に関係するごく一部の人の間だけだと思いますが。

今回は生活の中にある「ボラティリティ」についてちょっと考察してみました。

身近な所だとギャンブル

生活の中にある「ボラティリティ」を考えると、やはり最初に思いつくのはお金の事になりますね。

サラリーマンだと普通に生活していれば、決まった日にほぼ一定額の給料が入ってきて、支出の方は食費などで徐々に出ていくといった感じになるでしょう。

なのでお財布の「ボラティリティ」は小さいといえます。

そもそも普通に生活していれば、給料以外でお金は増えませんから「ボラティリティ」は小さくなります。

最近は労働環境についてもうるさいから、残業代だけで給料が倍になったなんてことも聞かないわね。

ギャンブルをするとお財布のボラティリティは飛躍的に上がる

私は今はほどんどやらないのですが、サラリーマンの時は会社帰りに良くパチスロをしていました。会社帰りなのでそれほど長時間は出来ないのですが、それでもたまに10万円位勝つことがあります。

ちゃんと記録を付けていたので明らかなのですが、長期間の累計収支は結構な額のマイナスです。

適当に打つだけで勝てたら店の経営は成り立たないわよ。

大抵は1~3万円位の負けになるのですが、たまに大きく勝ちます。給料が50万円位とすれば結構なボラティリティになりますよね?

パチンコ&パチスロは投資額を自分の意思で大きくできないので、勝ち負けの幅は手持ちの資金とは相関性がありません。なので、給料が少ない若い人なら相対的なボラティリティは更に大きくなります。

若い人だと下手すると1日のパチスロの勝ち(負け)額が1か月分の給料と同じくらいになっちゃいます。

全くやらないから分からないけど、公営ギャンブルも同じだと思うわ。

お財布のボラティリティが大きくなると人の行動はどう変化するのか?

はっきり言ってギャンブルで散財するのってとても馬鹿らしいし、止めた方が良いと私も思います。

でも、良いか悪いかは別として、お財布のボラティリティが大きくなると、人の行動様式が若干変化します。具体的に言うと消費行動が変わります。

これはギャンブルをやったことがある人なら全ての人に当てはまると思うのですが、ギャンブルで大きく勝つと人は無駄遣い?をします(笑)

例えば10万円勝った帰り道、夕ご飯を何か買って帰ろうとデパートに行ったとします。

コンビニじゃなく、デパートな時点で既に行動に変化が!

で、色々みていたらウナギのかば焼きが売っていました(最近高いですよね)。普段だったらまず高くて買わないものです。値段は大きさによって3,000円、4,000円、5,000円のものが並んでいました。

そうしたとき、勝った帰りって迷わず5,000円のものを買ったりするんですよね。

逆に負けた後って当然いつもより質素にしたりします。

結果、月の食費は変わらなかったりするんですよね。

これって完全な無駄遣いなのでしょうか?

一般的に良いことではないとされているギャンブルですが、それをした結果、普段買わないようなものを買うという行動が起こせました。上記では食べ物を例に挙げましたが、その他の消費行動も同じように変化します。

これって財布のボラティリティが大きくなったからこそする行動で、その行動は「新しい体験」や「贅沢」につながってるんですね。なので人生を豊かにする行動ともいえます。

なので私はギャンブルが完全に悪だとは思っていません。まぁ無駄だとは思いますが(笑)

セミリタイア生活になると、流石にギャンブルやる余裕は無くなりますね。投資はしますけど。

ギャンブルなんかしなくても「贅沢」はできるわよ。

女性は良く贅沢するよね。偏見かも知れないけど、男性ってなにもないときにいきなり贅沢をすることって少ないんだよね。

幸・不幸にもボラティリティ

お財布と同じように「幸福」と「不幸」にもボラティリティがあると思います。

「働く」ということは幸・不幸の振幅を大きくする

働いていると、自発的・強制的に努力をすることになります。努力すること自体は辛い「不幸」なことかもしれません。そして全ての努力が報われることは無いかもしれませんが、何割かは成果につながり、達成感という「幸福」が得られます。

その他、人間関係でも似たようなことがありますよね。

働いているとこうした「幸福」と「不幸」が絶え間なくやってくるので、振幅(ボラティリティ)が大きいといえるでしょう。

セミリタイア生活の幸・不幸のボラティリティは小さい

反対に、セミリタイア生活ではこの幸・不幸のボラティリティが小さくなります

どういうことかというと、セミリタイア生活ではまず「不幸」が少ないんですよね。最大の「不幸」働くということを排除しちゃってますから。

この辺は「セミリタイア生活の良い所は引き算の幸せ」に書いたわ。よかったら見てね。

「不幸」が少ないから相対的に「幸福」なんですが、何かを得るといった絶対的な「幸福」というものは少ないんです。なので「幸福」も「不幸」も少なく、振幅(ボラティリティ)の小さい生活となります。

これ、どういう状態か分かりますか?

日常に変化が少ない。すなわち退屈ということでもあります。

どっちが良いですか?

自分の生活の中で「不幸」なことはなるべく排除したいと大抵の人は思うでしょう。しかし、上記のようにそれを排除していくと、生活のボラティリティが小さくなり「退屈」になります。

ざっくりいったら以下の二者択一になるんですかね。

  • 「幸福」も「不幸」もそれなりにあるけど、刺激的な生活・・・働く
  • 「幸福」も「不幸」もほとんどない、退屈な生活・・・セミリタイア

1年交代位で交互にできると良いんですがね・・・

生活の中のボラティリティは大きい方が良い?

上記のように生活の中のボラティリティって大きいと人生を豊かにしたり、刺激的にしたりと結構良い面もあるような気がします。

逆にボラティリティが小さいセミリタイア生活って味気なく、退屈なだけなのでしょうか?

私の場合

今でこそ私は「セミリタイア生活」についてあれこれ書いていますが、セミリタイアする前にこんなことを考えたことはありませんでした。なので、上記の二者択一をしたつもりはないのですが・・・結果として退屈しました(笑)

なので想定外に退屈で暇を持て余したのですが、想定外でも実際そうなったらそうなったで、その退屈を埋めに行く努力をするようになりました。

この辺は「セミリタイアしてからの変化(私は活動的になりました)」にも書いていますのでよろしければご覧ください。

公・不幸のボラティリティ自体を大きくするために「ブログ」を書いたり「筋トレ」したり、お財布のボラティリティを上げるために「株式投資」をしたりといった感じですかね。

努力の成果が数値で分かるものが効果的かも。

「投資」については他にも意味があります。その辺りは「セミリタイア生活と社会の接点」にも書いてありますのでよろしければご覧ください。

こういう考え方ってあまりしないのではないでしょうか?今日ふとそんなことを考え付いたので記事にしてみました。セミリタイアを検討している人は参考にしてみて下さい。

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