人間の感覚というものは様々な要因で変わってくるものなのかもしれません。私はつい最近、体感上の「1日」の長さが以前とは変わっていることに気付きました。それはセミリタイア生活ならではのことなのかもしれません。
「1日」って何時間?
1日は24時間に決まってるでしょ?
いや、物理的なお話じゃなくて・・・
セミリタイア生活で感じる「1日」
セミリタイア生活を送っている人が全員同じように感じているとは思いませんが、私はセミリタイアしてから「1日」をある意味では長く、また別の意味では短く感じるようになりました。
これまでこのブログにも形を変えていくつか書いていますが、セミリタイアすると時間を持て余し気味になり、退屈することが多くなります。なので「1日」は長く感じる・・・そういった側面が確かにあります。しかもコロナ禍のお陰でその色彩はより強くなっています。
ただ、そんな長い「1日」が短くも感じるんです。
ちょっと何言ってるのか分からない???
「1日」って何時から何時まで?
「1日」は0:00~24:00までの24時間・・・この世で唯一、人々に平等に与えられた資産です。
でも、その「1日」をどう使っていくかは人によって異なります。
極端な話、0:00から23:59まで寝ていたとしたらその日はとても短く感じることでしょう。
それに比べたら、ずっと仕事をしているのはそれが「楽しい」、「辛い」どちらのケースでも長く感じるのではないでしょうか?
そんなことを考えると、我々が認識している「1日」というのはアクティブに行動している時間と言い換えることもできるような気がします。
そのアクティブな時間は私の場合セミリタイアを境に劇的に変化しています。
- セミリタイア前・・・6:00~24:00の約18時間
- セミリタイア後・・・6:00~18:00の約12時間(季節によって多少変動アリ)
何となく「暗くなったらその日は終わり」という認識に変わって、夜は何もしなくなりました。
明るい内だけが「1日」と認識するようになって、退屈だけど短いと感じるようになったのね。
さ~て、今日は何しようかな?
特に「やらなければならないこと」が無い生活では、油断しているとホントに何もしないまま1日が過ぎていきます(この冬はホントに何もせぬまま過ぎ去った感じがします)。
そうならないように毎朝起きたら布団の中で「今日は何しようかな?」なんてことを考えたり、前日までにやろうと思っていたことを思い出したりするようにしてるのですが・・・
この自分への問いかけについて、最近ふと不思議というか、おかしなことに気付きました。
確かに朝起きた時は「今日は何しようかな?」と考えているんですが、お昼を過ぎた辺りでは既に「明日は何しようかな?」に変わってるんですよね。
お昼の時点ならその日の内にできることは山ほどあるはずなのに、その辺りで思いついたことは無意識の内に翌日に回してしまってるんです。
お昼頃には既に「1日」の残り時間が短いという認識をしているようです。
夜も含めればまだまだ時間はあるのに、そう感じてないことを最近改めて認識しました。
先送り生活は続くよいつまでも!?
この明るい内だけが「1日」という認識になると、当然ながら「先送り」することがやたらと増えます。
何せ午後に思いついたことは大抵のことが翌日に回されちゃうわけですから(笑)
また、午前中に雨が降ってたりしたら、これまた多くのことがその日の午後じゃなくて翌日に回ってしまいます。
よくよく振り返ってみると、とんでもなく非効率で無駄な時間の使い方をしていますね。
もしかしたら自己防衛本能?
そんな非効率で無駄の多い先送り生活ですが、何ら問題が発生する気配がありません。要するに私のセミリタイア生活はホントに時間があり余っているということです。
もしかしたら、時間があり余って退屈過ぎるという状況から逃避する・・・退屈過ぎて精神にダメージを負わないための自己防衛本能として「1日」と認識する時間帯が狭まったのかも知れませんね。
確かにコロナ禍の初期の頃は1日が退屈でとても長いものに感じていた記憶があります。
「退屈したくない」という気持ちが、「何かをする」という方向ではなく、「1日」を短く感じるという方向に向いたのかも知れないわね。
コメント