【ウィルスの影響!?】小さな変化が生む大きな影響(セミリタイア生活)

セミリタイア生活
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今日は小雪がちらついていますが、もう3月も終わりですし最近は温かくなってきました。人間の行動って結構単純で温かくなると活動的になってきますよね。でも、私は最近やる気の出ない日々を過ごしています。ブログの更新間隔が長くなってきているのもその辺が原因のようです。今回はそんなやる気が出ない理由について考えてみました。

小さな変化が生む大きな影響

人の感情というか感覚みたいなものって波がありますよね?バイオリズムという言葉が適切かどうかは分かりませんが、そんな感じのものです。

例えば昔流行った歌を耳にした時、同じ歌でも時によって「あ~この頃はこんなことがあって楽しかったな~」と感じる時と、「あ~あの頃はこんなことがあって辛かったな~」と感じる時がありますよね。

特に明確な理由もないのに逆の印象を受けるって、受け止める自分の感情に起伏があって、それに影響を受けてるのかな?と最近感じることがありました。

感情の起伏に明確な理由がないと書きましたが、恐らく細かく分析するときっと何か原因はあるのでしょう。ただ、色々な要素が複雑に絡み過ぎて自己分析は不可能なので「感情には起伏がある」と単純化して話を進めていきます。

ちょっと哲学的な始まりになりましたが、言いたいことは単なる日常生活の一部についてです。

暇だから一つの話を複雑に語りたくなるのね。

ウィルスの流行によって生じた「小さな変化」

このブログでも世間でも、最近の話題はウィルスが中心です。国内では首都圏封鎖をするかどうかが一番ホットな話題といったところでしょうか?

ただ、このウィルスの影響の受け方は人によってかなり異なっていると思います。

飲食店を経営されているような方だと休業を余儀なくされたり、もしくは開店休業状態になる等、生活様式が変わってきたり、経済的に大きな影響を受けていたりするかもしれません。

幸いにも私はセミリタイア生活を送っている為、ウィルスの流行による生活様式への影響は軽微です。せいぜい毎日通っていたスポーツクラブに行かなくなったといった程度です(運動不足は屋外でのジョギングで解消しています)。

生活様式はあまり変わらなかったのですが、その他の所でちょっとした影響がありました。

「小さな変化」が生む「大きな影響」

毎日の生活様式自体はほとんど変化が無いのに何が「大きな影響」なのでしょうか?

同じような生活をしている人ならすぐ分かると思いますが、こういった環境下で引き籠ると人と会わなくなってしまいます。要するにコミュニケーションの断絶が起こるんです。

この記事を書きながら、最後に人と話したのはいつだったかな?と毎日の記録を見返すと、かれこれ25日ほど話をしていません。

ボッチ耐性MAXだから25日位なら楽勝よね?

ここで長く前振りしたお話が出てきます。

今回は何故か効いてしまった「孤独」の重圧

私はずっと独身ですし、普段からあまり他者とコミュニケーションを取る機会が少ないから1カ月位なら誰とも話をしなくても問題ないと以前このブログにも書いたことがありました。

実際そうなんですが、何故か今回はちょっとこたえてますね。

何で今回に限って「孤独」が効いてきているのだろうか?と考えてもあまり思い当たる節が無いんですよね。強いて言えばこの状態がいつ解消されるのか見当が付かないという不透明感があるからなんでしょうか?

たまたま感情の波が落ちていた時にこういった事象が重なったとしか言いようがありません。

襲ってきたのは「無気力」

「孤独」の重圧によって生じた変化は「無気力」化ですね。

ここ何日か何にもする気が起こりません。今日なんか珍しく大雪ですし、天候の面からもなんか暗い雰囲気にさせられてますね。

「このままじゃ不味い」と思っても具体的な解決策は思いつきません。

今回は小さな生活の変化が大きな精神的負担を生みました。

ただ、セミリタイア生活の2年間にこういった状況には何度かなっています。

解決策は単純

まぁこれまでもこんな感じになったことは何回かあるので、解決策は知っています。その方法は至極単純な手法になります。「放置」です。

これも前段の前振りの話につながるんですが、ちょっとしたことで暗い気持ちになってしまう期間があるのと同じように、ちょっとしたことで明るい気持ちになるような期間もあるんですよね。

そしてそれは交互にやってきます。放っておくと勝手に切り替わるんですよね。そういう意味では人間は便利にというか、上手くできてますね。

ちょっと格好を付けて言えば「やまない雨は無い」といった所でしょうか?

ただ、こういう自己分析って今みたいな時にはかどるんですよね。

確かに何やっても楽しいってときはあまり自分を振り返らないからね。

無理に脱出しようとすると!?

ちなみに初めてこういった「孤独」の重圧に負けた時は結構焦りました。

当然どうにかして脱出しようともがくのですが、焦っている時ってろくなことをしませんね。私の場合は止められつつあったパチンコを再開しちゃいました。

パチンコ屋さんって不思議ですよね。特に誰かと話すわけでもなく、延々と一人で台に向かっているだけなのに、なぜか周りの人との一体感を感じて寂しくなくなるんですよ。若者がやらなくなったのに、多くのお年寄りが未だにやっているのも分かる気もします。

私の場合、パチンコはまた別の理由で止めれたのですが、今みたいな時はちょっとだけ行動の選択肢としてあがってきてしまいますね。

まぁ今回の場合ウィルスが起点ですから、感染の危険が高そうなパチンコを選択肢にするのは本末転倒ですが(行ってないから知りませんが、今でも多くのお客さんがいるんですかね?)。

<セミリタイアを検討されている方の参考になれば>

セミリタイア生活ってやはり時間に余裕があるので、いろんなことを考えますね。特に哲学的なことを考えてしまうことが多いです。

まぁそれだけ不安定な生活ってことなのかもしれないわね。

ちなみに、「これなら働いていた方がましなんじゃないか?」といった考えが頭をよぎるのも今回のような気分の時です。

セミリタイアを検討している人の参考になるかもしれないから、こういったことは思いついたら記事にしています。

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