セミリタイア生活と承認欲求

セミリタイア生活
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人間には様々な欲求があります。サラリーマンを辞めてセミリタイア生活に入ると満たされる欲求も当然ありますが、反対に満たされにくくなる欲求もあります。

セミリタイア生活はあらゆる欲求を満たせるのか?

今現在、セミリタイアを検討していたり、興味がある方は「セミリタイア生活をして、好きな事だけをしていれば何の不満もない、満ち足りた生活を送れるのではないか?」と考えているかもしれません。

そうでもないですよ。というお話はこれまでも色々記事にしてきました。

今回はあることをきっかけに、人間の「欲求」という切り口から記事を書いてみました。

人間の欲求とは?

唐突ですが、皆さんは「マズローの欲求5段階説」というのを聞いたことはありますか?

結構有名なものだと思うのでご存じの方が多いかもしれませんが、人間には5段階の欲求があり、1つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとするというものです。

<5段階の欲求>

  1. 自己実現の欲求・・・自分の価値観等に基づいて、理想の自分になりたいと願う欲求
  2. 承認の欲求・・・自分が集団から存在価値を認められたい、尊重されたいという欲求
  3. 社会的欲求・・・友人や家庭、会社から受け入れられたいという欲求
  4. 安全の欲求・・・環境面、経済面、健康面などで安全・安定していたいという欲求
  5. 生理的欲求・・・生命維持の為に食べたい、飲みたい、眠りたいといった本能的な欲求

上の方の欲求がより高次の欲求とされます。

下の欲求が満たされたら次はより上の欲求を満たしたくなるといったお話ね。

セミリタイア生活では「承認欲求」が満たされにくい

セミリタイア生活をしているとこれらの欲求はどう満たされるのかを考えると、決定的に「承認欲求」が満たされにくいと思います。

それぞれの段階の欲求について、「私の」環境を中心に考えていきます。

細部は人によって違うと思うわ。

生理的欲求

最も低次の欲求です。当たり前ですが、衣食住が満たされていない状況でセミリタイアしようと思う人はいないと思います。

個別にみると、”飲み食い”に関しては働いていた時とあまり変わりません。ただ、”寝る”ことに関して言えば「好きなだけ寝ていられるし、昼寝も自由自在」なので、セミリタイア生活ではより欲求を満たせると言えそうです。

安全への欲求

環境面でいえば、こと日本に住んでいれば生命の危険を感じるような場所はほぼ無いと思います。

健康面では人によるといった所でしょうか?私の場合は有り余る時間を使って、体を鍛えたりしていますので、健康面の欲求は働いていた時より満たされている様に思います。

ただ、経済面では収入が無くなりますので、欲求は満たされにくくなります。ただ、ある程度の貯えがありますので、欲求が満たされなくて不安になるといったほどではありません。

株で大きな含み損を抱えると不安になるのはこの欲求が満たせなくなるからよ。

社会的欲求

セミリタイアすると人との接触が極端に減りますから、この辺りから徐々に欲求が満たされにくくなります。

結婚している人なんかは「家庭」があり、パートナーから受け入れられているといった状況になるので欲求は満たされやすいでしょう。

ただ、私のように独身で、あまり異性に縁がない人間の場合は、友人関係に答えを見出さなければなりません。

その点私は恵まれていて、定期・不定期に飲みに行ったり、誘われる仲間がいますので、この欲求は満たされていると思います。

セミリタイアする前に会社以外での交友関係を構築しておくことの大切さは別に記事にしていますので、是非ご覧になって下さい。

承認への欲求

今回の主題です。

働いていると当然「会社」という集団に所属しますし、普通に働いていればその働きや、それに付随する自分の存在価値が認められることになります。

ただ、セミリタイア生活ではそもそも集団に所属していませんので、自分の存在価値が誰かに認められるといったことはあまりありません。

今回ひょんなことから承認欲求がちょっと満たされたので、この記事を書いています。

自己実現の欲求

自分の意思でセミリタイア生活をしている人は、自分の価値観に基づき「自分はこうあるべきだ」という姿を実践していると言えるでしょう。

セミリタイア生活者は承認欲求を飛ばして、より高次の自己実現をしていることになります。なので、この辺りは余り不満の種にはならないのだろうと思います。

一つすっ飛ばして最も高次の欲求が満たされています。

セミリタイア生活で承認欲求がちょっと満たされたお話

実は上に書いてあることは、とある「嬉しいこと」があって、何でこんなに嬉しいんだろうか?ということを考えていた時に思いついた後付けのお話です。

当ブログのアフィリエイト

当ブログは「セミリタイア生活」ってこんな感じなんですよ、といったことを発信することが主目的ですから、あまりアフィリエイトには注力していません。

ただ、セミリタイア生活(日常生活)を送る上で、あって便利だと感じたもの等を取り上げた際は商品の情報としてアマゾンや楽天等へのリンクを貼っています。

文章が下手で便利さが伝わらないせいでしょうか?ブログを始めて半年で何かが売れたといったことはありませんでした。

初めて売れた!少額なのに何故かやたら嬉しい

ところが昨日初めて当ブログで取り上げた商品が売れました。

ぶっちゃけその1件で私の懐に入る金銭などたかが知れています(ワンコイン以下)。そしてその位の金銭ならアドセンスの広告収入でもこれまで得たことはありました。

でも、なんかやたら嬉しかったんですよね。

承認欲求が満たされた!?

収入の絶対金額を考えたら特に喜ぶ金額でもないのに、妙に嬉しい。私は何故嬉しく感じているのだろうか?とちょっと不思議に思いました。

端的に言えば、私の書いた記事が他者に承認されたことが嬉しいということでしょう。

私が買って良かったと思ったものについて書いた記事に対して、その品物を購入するということは、記事(私)を承認したという事なんだと思います(少なくとも私はそう感じました)。

「承認されること」というのは上記で書いた通り、セミリタイア生活を送っているとあまりないことです。これがひょんなことで満たされたんですね。

アドセンスの広告がクリックされるのとは意味合いがかなり違いますね。

あれはGoogleが勝手に出しているものだからね。

ブログランキングサイトへの投票

よくよく考えたら、当ブログが登録している「ブログ村」や「人気ブログランキング」への投票も同じですね。確かにあれも票が入ると嬉しかったりします。

ブログの記事への共感が承認欲求を満たす

当ブログでは一応コメントも書けるようにしてはいます。しかし、やはりブログというのは圧倒的に一方通行に発信するメディアですよね。

その一方通行に発信した記事を読んで頂き、内容に共感してもらう、認めてもらうことで私の承認欲求は満たされることになります。

記事への共感を実感する術は少ない

ただ、記事への共感を手応えとして感じる術というのは少ないんですよね。

アクセス数が一応の目安にはなるのですが、アクセスがあることと、記事が読まれていること、その内容に共感されているということは別物です。

そもそもアクセスがあっても記事が最後まで読まれているかは私には分かりません(平均ページ滞在時間で推測する位しかできません)。

ランキングサイトへの投票=共感?

こういった背景から、私のブログでは記事の一番最後にしかランキングサイトの投票バナーは貼っていません。

そうすることによって、記事への共感が手応えとして伝わって来るのではないかという考えからです(どの記事にといったことは分からないんですけどね)。

色々書いてあるけど、最終的に言いたいことは?

記事に共感されたら投票をお願いします。

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