基本的に「孤独」は避けたいものです。でもセミリタイア生活にとって孤独は身近なものですし、意外になったらなったで「耐えられる」ものでもあります。
セミリタイア生活は孤独?
独身のセミリタイア生活は他者との接触が少なくなりがちです。
まぁ端的にいえば「孤独」よね。
孤独は「怖い」?
「孤独」、「ぼっち」という言葉は自嘲的に使われることが多い事からも分かるように、何となく否定的なニュアンスを含んでいます。
少なくても「孤独」というのは「避けるべき事」というのが多くの人が共通して持っている認識なんだと思います。
実際私もセミリタイアする上で最も懸念したポイントは「人付き合い」が減る事でした。
私も一応他者とのコミュニケーションが途絶えない為の努力・準備はしていましたが、それだけ「孤独」というものを恐れていたという事でしょう。
想定外の孤独
「一寸先は闇」という言葉がある通り、世の中には想定できなかったことが実際に起こるものです。
ただ「想定外のことが起きる」という認識があったとしても、今の様な「コロナ禍」を想像することが出来た人はいなかったでしょう。
私もその内の一人な訳ですが、「コロナ禍」によって少なくなっていた他者との接触がほぼゼロになってしまいました。
そう、恐れていた「孤独」な状態に陥ってしまった訳です。
実際当時書いていたブログ記事を読み返すと「孤独が辛い」的なことを書いていることが多いんですよね。
辛いというより不安なのよね。
意外な事実!?孤独も「慣れる」
想定外に「孤独」な状態に陥ってしまった訳ですが、じゃあどうするか?という問題に対して私は「耐える」という選択をしました。
まぁコロナ禍が長引くかは当時分からなかったし、セミリタイアした直後だったから再就職も考えたくありませんでしたからね。
で、この「耐える」というコマンド、RPGなんかじゃ滅多に使わないものですが、実生活では結構使います。
何故か?それは人間は色んな状況に対して「慣れる」、「耐えられる」からです。
自分でも意外でしたが、当初は「孤独」な状況に対して不安を覚えたり、何とか事態を打開したいと思ったりしていたのに、そうこうしている内にそういう状況にすっかり慣れてしまいました。
まぁそもそも世の中には孤独な人は沢山いて、大抵の人はそれに耐えられている訳ですから当たり前といえば当たり前のことです。
「孤独」な状態が良いか悪いかといえば悪い(なるべくなら避けたいこと)という認識は変わりません。
でも、それと「耐えられる」、「耐えられない」というのは別のお話よね。
じゃぁどこまで耐えられるのか?
自分の事ながら悪い癖だと思うのですが、こういうことに気付いたとき「じゃあその限界はどこなんだろう?」なんてことをついつい考えてしまいます。
孤独に関して言えば「どこまで人としゃべらなくても平気なんだろう?」ってとこですね。
これを山口に引っ越してから実験していました。
こちらには正味ホントに1人も知り合いがいません。なので「しゃべらない」という事はかなり簡単に試すことが出来ました。
スポーツクラブに入会しなかったのはこの辺りも理由の一つなのよね。
取り合えず半年は耐えられました
私が山口に引っ越してきてからちょうど半年が経過しました。
その間に人と交わした会話は恐らく3回だけです。
- 不動産屋さんに鍵を取りに行ったときの挨拶
- 隣人への引っ越しの挨拶(会話したのは隣の人だけ)
- 中古車屋さんに欲しい車の条件を伝えたり、諸手続きに関する話をした時
いずれも引っ越し直後のことなのでその後はほぼ丸半年誰とも接触してないし、話しもしていません。
ただそういった状況に対してストレスを感じることは今の所ほぼありません(全くと言っても良い位ですね)。
スーパーで「レジ袋はご入用ですか?」と聞かれて「結構です」というのは会話に含めていません(笑)
反則?ちょっとした抜け道
「孤独」には慣れる、耐えられると書きましたが、私の場合ちょっとした抜け道があります。
それがこのブログです。
ブログですから会話はありませんが、コメントを頂いたりすると自分の文章が誰かに読まれていることが実感出来て嬉しくなります。間接的ながらコミュニケーションが成立して「孤独」感が緩和されることが嬉しく感じるのでしょう。
コメントを頂かないまでも、アクセス数がカウントされる度に同じような気持ちになれます。
ブログという趣味はホントにセミリタイア生活にマッチした良い趣味だな~と感じる今日この頃ですね。
ただ、それ故にアクセスが減っていくと寂しいし、何とかしようとアレコレ模索することにもなるのよね。
「孤独」を過剰に恐れると無難な生活すらできない?
普段はなるべく避けたいと思っている「孤独」。でも意外に身近な存在だったりもします。
そもそも何かアクションを起こす際「孤独」に陥るリスクは結構あったりしますよね。
セミリタイアや地方移住は勿論ですが、生活環境が大きく変わる進学・就職・転職もそうですし、仲間内の発言・提案だって下手すれば異端視されて仲間外れにされる可能性はあります。
でも、それを恐れて行動しなければ無難な生活(現状維持)しかできません。しかもその現状維持でさえコロナのような外部要因によって崩される可能性がある訳です。
何を「しても」、「しなくても」リスクがあるのなら、自らリスクを取って変化を求めるのも良いものなんじゃないかな~なんてセミリタイア生活や地方移住の経験から思うようになりました。
まぁ今後後悔するのかも知れませんが、今のところは無問題って感じですね。
まぁまだセミリタイアして4年、地方移住からは半年しか経ってないから考えは浅いのよね。
コメント
孤独が平気でむしろ快適というのが分かったことがむちゃくちゃ大きかったと思う。
孤独で絶望する人がいるが、本当にこのことに気づけたら助かるのにと思う。
逆に孤独の恐怖をあおるやつは悪魔じゃないのかと思う。
dedsさんコメントありがとうございます。
絶海の孤島で一人っきりとか極端な場合を除けば孤独って確かに快適な面も多いですよね。特に人に気を使わないという点において。
孤独は怖いもの、なってはいけない状態というのはメディアなどにそう思わされている側面は確かにあると思います。
恐怖を煽って物を売りつけるのはどんな業界にも共通する一番の宣伝方法ですからね~
私も孤独は慣れましたが平気ではありません。
孤独が平気なら、こうしてコメントなんか付けないと思います。
「孤独=ダメ」という観念はメディアなどの刷り込みもあると思いますが、そもそも人間は群れで生きる動物ですから、孤独を怖がるのは本能だと思います。
セミリタイア直後は解放感でいっぱいでしたが、時間が経つと共に孤独への恐怖や寂しさが大きくなってきて、小手先の趣味や一人遊びではごまかせなくなってきました。
このままでは「自分は間違っていない」と言う意地と孤独感の矛盾がどんどん大きくなってしまうので、今は自分の孤独感を認めた上で、自由の代償として受け入れています。
その方が気持ちがラクになるし、この先の選択肢も広がると思うんですよね。
ふなむしさんコメントありがとうございます。
孤独を怖がるのは本能という所はありそうですね。でも、世の中には本当の孤独というものもまた無いようにも感じています。
一歩外に出れば人に会いますし、こうしてネット越しのコミュニケーションもありますからね~
そういったものが無いとどうなってるかは分かりませんが、私の場合不思議と何とも思わなくなってしまったんですよね。
まぁ孤独への考え方がこの2年程で変わったという事は、またすぐに元に戻るという事もあるのかも知れません。
ブログが抜け道になるのは良いですね。
下らないことをコメントしない方が良いかなと思ってましたが、遠慮せずにコメントするようにします!
私は孤独ではなく暇な時間の過ごし方が課題となっております。
老後は「きょうよう、きょういく(今日、行くところがある。今日、用事がある。)」が大事ってのが、この歳にして理解出来て良かったです
まささんコメントありがとうございます。
今の所まだまだ余裕で全てのコメントに目も通せますし、返信も出来るのでコメント大歓迎です。
(いつかコメント返しきれない程のアクセスになると嬉しい・・・のかな?)
確かに孤独もそうですが、時間の使い方は課題ですね。
私は最近寒くて買い溜めの食料だけでずっと家にいたりするので、もったいないな~なんて思いつつこうしてブログをいじってます。
ここ何日かは前から作りたいと思っていたページをずっと作ってます(単純作業の繰り返しだけどやたら時間がかかっています)。
ただ私の場合、時間がかかるページ程アクセスが無いんですよね(笑)