昨日またちょっと大き目の地震がありました。ただ、歳のせいでしょうか?エリアメールが大きな音で鳴っていても妙に落ち着いて行動できるんですよね。昔はあの音が怖かったような記憶もあるんですけどね~
歳と共に恐怖への感受性は落ちる!?
またちょっと大き目の地震がありましたね。
その話題をブログにするのはちょっと遅くない?
正確に言えばまだ昨日(2022/1/22)のことですが、九州で大きめな地震が発生しました。
私は寝室にスマホを持ち込まないので、夜中にメール等の着信音が鳴ったとして気付くことすら無いのですが、流石にエリアメールが鳴ると目は覚めますね。
あのアラームのチョイスは流石といった所です。
エリアメールが鳴っても驚かなくなっている!?
震源地から程近いとエリアメールが鳴ってから揺れ始めるまであまり時間がありませんが、通常はワンアクション位は起こす余裕があります。
私は昨日エリアメールが鳴った直後は唯一備蓄が不十分な飲み水をポリタンクに貯める為に台所に向かいました。
後から考えると、当たり前のように「あの音」を聞いた直後に行動している自分に驚いてしまいます。
でも、思い返すと11年前の東日本大震災(その頃私は東京にいました)の直後はエリアメールのけたたましい音がする度に体が硬直していたように感じます(少なくとも何か行動する余裕はありませんでした)。
歳を取ると恐怖に対する感受性が落ちるんですかね?
確かに「お化け」とかに怯えるのは子供の頃だけよね・・・
震度5強は大地震?
ちなみに昨日の地震では私の住んでいる山口市はほぼ揺れませんでした(震度2)。ただエリアメールが飛んで来る位ですから、どこがどの位揺れたかは気になる所です。
TVが無い事に若干のもどかしさを感じつつ、老眼鏡をかけてスマホで確認すると震源が日向灘で最大震度が5強とのこと。
実際何らかの被害を被った方が聞くと不愉快かもしれませんが、私はこの「震度5強」というのを見て何となく安心してしまい、またすぐ寝ちゃいました。
でも改めて考えると「震度5強」ってかなり大きな地震ですよね。
感受性とか危機意識が薄れてるんじゃない?
”経験値”が貯まると怖いものが減っていく!?
いつか必ず来るといわれている大きな地震に対して、昔の私は恐怖を感じていたと思います。
バタバタと家が倒壊して瓦礫の下敷きになったり、火事になったりして命が危険に晒されるかもしれないということに対する恐怖ですね。
日本の大半の建物は設計上、相当大きな地震が来ても大丈夫なように出来ているという知識はあったのにそう感じていました。
実際大きな地震(東日本大震災)が来た時、揺れている最中はそんなことが頭をよぎってかなり怖い思いをしました(当日私は東京にいて震度は5強でした)。
でも、終わってみれば全然平気だったんですよね。周りの古いビルも含めて何ともないんです。ちょっと拍子抜けって感じでもありました。
この経験から「震度5強」位の地震ならそれほど危険じゃないんだな~なんて感じるようになった訳です。
今回の地震もその位かな?なんて想像することも出来ますしね。
歳と共にそういう経験が積み重なるから怖いものが減ってくのよね。
恐怖を感じなくなることは良い事?
一度経験した恐怖に対して耐性を得るということはその他にも沢山あります。
実際恐怖を感じると動けなくなったり、冷静な判断が出来なくなるので恐怖に耐性が付く事は良い事なのかもしれません。
でも、慣れ過ぎて感覚が鈍くなるとそれはそれで厄介なことなのかもしれません。
例えば台風で河川が増水した時に「様子を見に行って流された人」のニュースはよく見ます。大抵はお年寄りですよね。
経験上「この位なら大丈夫」と判断することは良くあることですが、自己の経験には限界もありますからね~
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ・・・全部は無理にしてもある程度は賢者になっとかないと経験したことが無い大地震に対応できなくなりそうよね。
<ちなみに山口への移住の自己評価>
今回の地震の震源は日向灘と、警戒されている東南海地震の想定範囲内の地震でした。
ただ、山口市は震源から結構近かったのにほどんど揺れなかったんですよね(震度2とされていますが、そんなに揺れなかったと思います)。
地方移住に際して、災害が少ない(東南海地震が来てもほとんど被害が無い)と思われる場所を選んだつもりでしたが、その点では現状では正解だったといえそうです。
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