みなさんは「平将門」についてどの位の事を知っていますか?恥ずかしながら私は「首塚」が東京のど真ん中にあることと、朝敵として成敗されたといったこと位しか知りませんでした。そしてその「首塚」ですが、勤めていた会社の近くにあり、近くを通ることもあったのですが、やはり足を踏み入れたことがありませんでした。
平将門について
いくつかの解説を読んだうえで私が要約しているので正確ではないところもあるかもしれません。
元々理系で日本史なんて勉強したことないので大目に見て下さいね。
ざっくり歴史
名前の通り平氏一族の一人で桓武天皇の5世。16歳辺りから京の朝廷で藤原忠平に仕えたが出世はできず、父親が亡くなった時に国元の下総国佐倉(?)に戻っています。
そして国に戻ったものの、父親が残してくれた土地は伯父達に奪われており、それらを発端として親族内での抗争に突入していきます。それらの戦にことごとく勝利したのは良いものの、その戦の延長線上で国府まで襲ったために朝廷に対する反逆とされました。
というのが平将門が「朝敵」として捉えられている要因ですね。
その後関東一円を手中にした後は「新皇」を自称したから更に「朝敵」のイメージは増したわよ。
一方、平将門の一連の戦は中央から派遣された受領たちに苦しめられた民衆を助ける為のものと捉えられてもいます。なので関東では人々に慕われているという一面もあります。
神社でまつられる理由もちゃんとあるんだね。
なんか平氏のイメージから遠いけど・・・
平氏と聞くと何となく優雅な公家の人達で、戦のあいだでも舟遊びとか貴族的な遊びをしているといったイメージがありますね(平家物語の「扇の的」の下り)。でも、平将門はそういったイメージが欠片もありません。
何でだろうと思って調べたら、平将門は940年没で、先ほど述べた公家のイメージがある平清盛は1181年没と240年近く生きていた時代が違うんですね。というより平氏も源氏と同じく元々は武士ですから、公家のイメージは長い変遷を経た後半の姿なんでしょうね。
平将門の「首」の伝説
朝敵として討たれた平将門の首は京都に運ばれ都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり、故郷に向かって飛んで行ったとされています。この首が落ちたとされる場所は数カ所あり、いずれも平将門の首塚とされているそうです。
その中で最も有名なのが、東京都千代田区大手町にある首塚です。
関東大震災後に都市再開発として、この首塚のある場所に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、当時の大臣が相次いで不審死を遂げたことがあります。
戦後、GHQが丸の内周辺を区画整理しようとした際、この首塚を撤去しようとしたら不審な事故が相次いだということもあったみたいよ。
平将門はこういった祟りでも有名ですね。
本日の散歩コース(首塚~神田明神)
平将門の「首塚」から何故、「神田明神」まで行ったのかというと、ご存じの方も多いかもしれませんが、神田明神が平将門をまつっている神社だからです。ちょっと離れていますが、十分歩ける距離でもありますし、途中に興味深い建物もありましたよ。
地図がとても縦長になってしまったので省略しましたが、本日のスタート地点は日比谷駅でした。
日比谷駅から「首塚」までは約1km程でしょうか。皇居沿い(内堀通り)をずっと歩いていると右手に見えてきます。
私は日比谷から歩いたけど、最寄り駅は東京メトロ・都営地下鉄大手町駅で、C6a出口からすぐよ。
実は皇居も見て回りたかったんだけど、今日のメインの行き先とは相性がよろしくないのでやめておきました。
平将門の首塚(将門塚)
写真の「将門塚」は別名のようです。
私が訪れたときはちょうど保存会の方が掃除をして、お花とお線香をあげていました。
ボランティアの方なんですかね?我々訪問者に挨拶をしたりして若いのにしっかりした方々でした。
日差しの関係でなんか神々しい感じになりました。
これはお墓ですよね?
鳥居もないから神社ではないと思ったので手を合わせてお参りしたのですが間違ってないでしょうか?
まだまだ神社・仏閣巡りではビギナーなので作法に自信がありません。
ちなみに「首塚」の周りにはカエルの置物が無数に奉納されています。
これは将門の首が京都から飛んで帰ったことから、必ず「帰る」にかけたもののようです。
左遷された人とかが奉納したみたいよ。
ちなみに「首塚」がある場所はオフィスビルに囲まれた小さな場所です。
かなり違和感のある配置となっています。
まぁ区画整理の際、除いてしまおうと思う気持ちも分かりますね。
「首塚」~「神田明神」
上記の地図をご覧いただければ分かると思いますが、「首塚」から「神田明神」まではほぼ一本道です。この通りは”本郷通り”(都道403号線)なので六角形の青い看板に403と書かれた通りをずっと行けばOKです。
道すがら(その1)
この本郷通沿いは基本的にオフィス街です。私が行ったのは日曜日なのでこの通りほとんど人通りがありませんでした。
ある意味気持ちが良い散歩コースですね。
道すがら(その2)「ニコライ堂」
上記の地図にも記載しておきました。
新御茶ノ水駅のすぐそばにある「ニコライ堂」です。
下調べしていなかったので、立派なキリスト教(カソリック)の教会だな~と思っていたのですが、帰ってきてから調べたら正教会の教会でした。
お寺と神社を調べるので手一杯なところにキリスト教まで入ってくると混乱に拍車がかかるので、ここはこの程度で・・・
道すがら(その3)「湯島聖堂」
あまりより道はすまいと考えていたのですが、ちょっと風情がある建物を見つけたので入ってみました。
ここは御茶ノ水駅のすぐ近くにある「湯島聖堂」です。
お寺っぽい作りですが、こちらは江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟です。
後に幕府直轄の学問所となったことから「日本の学校教育発祥の地」となり、合格祈願のために受験生が沢山訪れる場所のようです。
大昔、私もこの近くの学校を受験したことがありますが、全くこの存在を知りませんでした。
だから落ちたんじゃない?
神田明神(東京十社巡り)
私は「首塚」からずっと歩いてきましたが、途中湯島聖堂に寄り道しても約1時間で到着しました。
神田明神の最寄り駅はJRの御茶ノ水駅ですね。御茶ノ水駅から本郷通にでて、聖橋を渡ると右手に湯島聖堂、そのまままっすぐ行くと突き当りですが、その辺りから案内の看板が出ているので迷うことは無いと思われます(御茶ノ水駅からなら徒歩5分程度です)。
その他、千代田線の新御茶ノ水駅(B1出口)、銀座線の末広町駅(3番出口)も近いです。
私は帰りは秋葉原駅まで歩きましたが、10分くらいでしたね。
神田明神は正式名称・神田神社。 神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場、108町会の総氏神様で、「明神さま」の名で親しまれています。
まつっているのは、縁結びの神様である「だいこく様」、商売繁昌の神様である「えびす様」、除災厄除の神様である「まさかど様(平将門)」です。
これが「首塚」の後にここに来た理由です。
後から知ったけど、「東京十社巡り」というのがあって、神田明神はその1社になります。
入り口(鳥居)
まだまだ勉強不足で名称が正しくないかもしれません。
神田明神の入り口です。
奥に見えるのが「隨神門」です。
一礼して道の端を通って進みます。
隨神門
こちらが入り口なのでしょうか?
神田明神のHPで確認したところ「隨神門」というそうです。
写真には撮ってきませんでしたが、この門の左手に水舎があります。
作法通り手を洗い先に進みます。
それにしてもやはりビギナー。後で調べるとこの門には様々な彫刻が施されているとか・・・全然見てませんでした。
四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)や「因幡の白兎」などの、だいこく様の神話をモチーフにした彫刻があるようです。また二層目の金箔をほどこした「繋馬」の彫刻は平将門に由来するもののようです。
御社殿
お祭りの準備なのか様々な資機材が置いてありましたので良い角度からの写真が撮れていません。
そもそも道の中央は神様が通るから通ってはいけないとなると、正面から写真を取ることは不可能なのでしょうか?
二礼二拍一礼の作法にて拝礼。
向って左側の一角獣が「狛犬」。
向かって右側が「獅子」。
左右両方をあわせて一般的に「狛犬」というそうです。
ちなみに私は気付きませんでしたが、狛犬が正面を向いているのは珍しい作りなのだそうです。
境内の案内図に注目
写真では読めないと思いますので書き起こしておきますね。
1つめ「築地魚河岸 水神社」
ここから4つはすぐ隣り同士です。
ちなみに今の段階では「何故神社の中には様々な神社があるのか?」という疑問があるのですが、今の所は放置しておきます。
そういえば、お寺の中にもお寺がいくつもあったりしますね。
2つめ「小船町 八雲神社」
ここのように、さい銭箱が郵便ポストのようになっている神社がいくつかありました。
申し訳ないです。小銭がほとんどなかったのでさい銭のみ省略で(こんなにたくさん拝礼するとは思っていなかったので)。
3つめ「大伝馬町 八雲神社」
周りに外国人観光客なんかも大勢いるのと、やりつけないので「二礼二拍一礼」って気恥ずかしい感じだったのですが、連続で何度もやってると慣れてきますね。
なんか神聖な気持ちになれます。
4つめ「大田市場 江戸神社」
ここで最初の4つが終了。
残りは御社殿の裏手の方にあります。
5つめ「浦安稲荷神社」
かなり小さい鳥居でした。
紙垂(しで)を避けるには大きくかがまないといけませんでした。
写真には入っていませんが、お稲荷様なので中には狐の石像がありました。
ちなみに紙垂(しで)は今調べて名称を知りました。
6つめ「三宿稲荷神社」、「金刀比羅神社」
拝礼しているときにちょっと気になったのが、鳥居にかかっている神社の名前です。
2つ書いてあったのでなんでだろう?と思ったのですが、一緒にまつってあるみたいですね。
7つめ「末廣稲荷神社」
この辺でもう7つ鳥居くぐったんじゃないのかな?と不思議に思い始めました。
正確には分からなかったのですが、この鳥居は”石”鳥居ではないから7つの内には含まれてないのでしょうか?
8つめ?「籠祖神社」
ここの鳥居には「合祀殿」と書いてありました。何が合祀されているのかは後で調べました。
籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)をはじめ、神田明神本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命)や富士神社(木花咲く耶姫命)、天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神)を合祀しているようです。
なんか物凄い神様がたくさん入ってるけど、一緒にしちゃって良いのかな?
こういう風に神様を分け隔てなく扱う文化が宗教がらみの戦争が少なかった理由なのかな?
まだまだ見逃してるものが多いみたいです
返ってきてこの記事を書くために神田明神のHPをみていると、「あれ?これ見てない」というものが結構たくさん出てきますね。また機会があったら行ってみたいと思います。
そういえば境内で御朱印を頂いている女性を何人か見かけました。まだ流行ってるんですかね?
私も神社仏閣巡りを始めるときにちょっと考えたのですが、基本的に手ぶらで歩きたいので止めておきました。でも、スタンプラリーのように行った所の証があるものちょっと羨ましいですね。
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