私は先日2度目の九州旅行に行ってきました。毎度のことですが出発してしまえば楽しいのですが、準備段階では面倒くさいことが多いですよね。私の場合は特に立ち寄る観光スポットの選定とルート作成に時間がかかります。ということで、私がどうやって立ち寄る先を決めているのかなんてことをご紹介します。
旅行の楽しみ方&目的地の探し方
先日2度目の九州旅行に行ってきました。
旅先では神社巡りをすることが多いんだけど今回はその辺について書いてみるわ。
皆さんは旅行(国内)をする時ってどんな所に行くんでしょうか?
私の場合は人が多い所が苦手なこともあって山奥の神社などに行くことが多いです。
日本なら大抵どこに行ってもそれなりに歴史のある神社があるので、神社を旅行の目的地とすると何となくその地方・地域をぐるっと回ることが出来るので道標として神社は結構便利です。
で、私の場合は帰ってから旅行記をこのブログに書くことになる訳ですが・・・
ただ「〇〇神社に行ってきた」だけじゃ小学生の作文みたいなので、その神社の謂れや祀られている神様について調べたりして補足を書き込むようにしていました。
そうこうする内に、自分なりの神社巡りの楽しみ方みたいなものが出来てきました(もちろん楽しみ方は人それぞれですからその内の一つとして興味のある方はご覧下さい)。
神社の楽しみ方(正統派)
「神社」と一口に言っても伊勢神宮や出雲大社のような巨大で有名なものから、街中にある小さなものまで様々です。そして全ての神社には(恐らく)その神社が存在することになった謂れがあり、歴史があるはずです。
歴史が短くその謂れがはっきりわかる神社(例:明治神宮、乃木神社)もありますし、古すぎて半分以上が神話の領域に入ってしまうような神社もあります。
そして観光で訪れるような神社は大抵が神話の世界にどっぷり浸った古いものです。その謂れは神話故に不確かで、不確かが故に想像の入り込む余地が大きく、興味を引くものが多くあります。
神話に登場する舞台というのはそのまま神社になることが多いようで、例えば天岩戸をご神体にした神社もあったりします。
そうした神話に登場する神社を巡って実際どんなことが起こっていたのかなんてことに思いを馳せるのも楽しみ方の一つですね。
日本の神様ってどんな存在?
古事記などの日本の神話を読むと、日本の神様たちはそれぞれが”全知全能の神”というよりそれぞれに人間味があって親しみが持てるところが良いですよね(この辺りはギリシアのオリンポス神話など多神教全般に言えることなのかもしれません)。
人間味があるというより、色々調べている内に日本の神話に登場する神様たちって人間だったんじゃないかな?と思うようになりました。
というのも日本には「死んだ人はもれなく全員神様or仏様」という死生観がありますし、中でも偉業をなした人は神様として人々に祀られることがありますからね(徳川家康は東照大権現として祀られていますし、近い所で言えば日露戦争の英雄である乃木希典も乃木神社に神として祀られています)。
なので伊邪那岐や伊邪那美、天照大神や須佐之男命もまた大昔に偉業をなして祀られた偉人だったのかもしれないな?なんて思うわけです。
ちなみに「神道」って宗教なんですかね?未だに良く分かりません。
ことある毎に神社なんかに行く日本人が無宗教って認識なのとも関係あるのかもね。
もし神様が人だったとしたら・・・
古事記の中では神様は大きく「天津神」と「国津神」に分かれています。
「国津神」は日本の土着の神様で「天津神」は天国(高天原)から降臨してきた神様という位置付けです。そして「天津神」の子孫が天皇となってその後の日本を統一・統治していったというのがメインのストーリーです。
もしこれらの神様が人だったとするならば、この「天津神」は天から降臨したのではなく、外国から渡ってきたと想像することも出来そうです。
実際に天照大神の系譜である日向族(天孫族)は台湾の方から海を渡って九州に渡来したのではないか?という説があったりしますし、時代は違いますが秦氏なども海外から渡来してきた一族です。日本には昔から様々な外国人が流れ込んできてその文化を取り込み、同化していった歴史があるようです。
古事記などには天孫ニニギは九州の高千穂に降臨したとあります。ニニギから神武天皇の前までの3世代は九州を拠点としていました。
だから九州には神話にちなんだ神社が多いのよね。
神社の楽しみ方(亜流)
上記のように、当初は古事記の舞台になっている場所や登場人物(神様)が住んでいたとされる場所にある神社を単純に見て回っていました。
事前や事後にその歴史を調べることで、何となく歴史の流れをなぞっているみたいで楽しいんですよね。
ただ、そうこうしている内に色々な疑問やその答えについての仮説が浮かんできました。
それらは私が勝手に解釈・想像したものなので明確な根拠がある訳ではありません。都市伝説というよりファンタジーに近いお話になるのですが、「実際の歴史がこんなだったとしたら面白いな~」という空想を交えながら神社や史跡巡りをするのも結構楽しくなってきました。
ここからのお話は特に明確なエビデンスがある話ばかりではなく、私の想像が多く含まれています。またエビデンスがあるお話もその引用先などは明確に覚えていないものが多くあります。
何で海を渡ってきたの?
上記で日向族や秦氏は海を渡って日本にやってきたと書きました。日向族はともかく、秦氏が遥か遠く(現在の中国の新疆ウイグル自治区辺り)から日本に向けてやってきたのは歴史的な事実のようです。
でも、何で海を渡ってまで日本を目指したのでしょうか?
今と違って航海にはかなりのリスクがあったはずです。ましてや正確な地図がある訳でもないし、海の向こうに島国があることも分かっていたのか?という状態で命懸けで海に出られるものなんでしょうか?しかも数人の命知らずが渡ったのではなく、一族郎党がです(秦氏は数万人単位で渡ってきたといわれています)。
もしかしたら日本を目指す明確な理由があったのかもしれませんね。
ここで一つのストーリーが描けます(もちろんファンタジーです)
日本には何時から人が住んでいたのか?
神話とは相性が悪そうな「科学」のお話ですが、人間(ホモ・サピエンス)は30万年ほど前にアフリカ大陸で誕生し、7~5万年前にアフリカから世界各地に分散していったとされています(私が子供の頃は世界各地にいた原人も人の祖先と習いましたが現在はDNA解析から否定されているようです)。
当然その人の流れは日本にまで到達しています。現在は遺跡などから日本には3~4万前には人が住んでいたと考えられています。
この最初に日本に人が移動してきた時期は氷期で、現在より海水面が140mほど低く、日本列島は大陸と地続き(もしくは海を隔てていても目で見えるくらい近かった)であった為、簡単に渡ってこれたと考えられています。
2万年前辺りから徐々に海水面が上昇して今のような島国になったみたいよ。
縄文時代の始まりが16000年前辺りからだからその頃は完全な島国になってたみたいだね。
日本から大陸に戻っていった人々がいた!
2万年ほど前に氷期が終わると陸地の氷が溶けて海水面が一気に上昇したようで、日本は今とほぼ変わらない島国となっていったそうです。
そうすると住んでいた人たちは島国に隔離され、独自の文化圏を形成していきます(一般的に16000年前辺りからが縄文時代)。
ところが縄文時代早期に当たる7300年前に現在の鹿児島県沖で鬼界カルデラ噴火が起こります。この噴火は過去1万年間で起こった中では世界最大規模のもので、その火山灰は関東地方にも到達。日本のほとんどの地域では長期間に渡って人が住めなくなったようです(縄文時代の遺跡がほどんど東北地方からしか出てこない理由)。
狙っていったわけじゃないけど、今回の九州旅行で立ち寄った「西都原考古博物館」にはこの鬼界カルデラ噴火に関する展示もありました(同博物館のメインは古墳時代のものです)。
ここから先は私の空想を多分に含みます。
人が住めなくなったと一口に言っても、九州南部などは火砕流などが到達してほとんどの人が死んでしまったようです。その他の広い地域では火山灰によって植物が枯れ、動物がいなくなり食べ物が無くなったから人が住めなくなったようです。
となると人はどうするか?
食べ物を求めて海を渡って再び大陸へ移動するという選択を多くの人がしたと思われます。
その人たちが世界各地で生活し、何らかのきっかけでまた故郷(日本)を目指したとすればリスクを負って日本を目指した理由になるような気がします。
一応こう考えるに至った理由はいくつもあるのですが、全部は書ききれないのでバッサリ割愛します。
でもこう考えると海外から来たと思われる日向族(天照大神の子孫)が当時日本を支配していた出雲族(大国主神)に「元々私らの国だったのだから返してください」といった理由にはなるわよね(強引な理屈だけど)。
日本⇒海外⇒日本と移動した人々?①
人類最古の文明であるメソポタミア文明(私はチグリス・ユーフラテス文明と習いましたが現在は変わったようです)を築いたシュメール人は謎が多く、都市伝説で取り上げられることが多い人々です。
メソポタミア文明が起こったのは7500年ほど前のことですが、元々この地域にはそれ以前から人が住んでいました。そこに何処からかシュメール人が現れ、元々住んでいた人たちと共に文明を起こしたというのです。
このシュメール人が使っていた言語は膠着語という種類で当該地域では全く類似性のない孤立した言語であったといわれています(ちなみに日本語は膠着語)。
そして(自分では読んでないのでどこにどう書いてあるか知りませんが)旧約聖書の中にはこの地域に住んでいる人々は「東からやってきた」と書かれているそうです。
若干年代に誤差はあるけど、もしかしたら!?
シュメール人はその後またどこかへ行ってしまったとされています。もし彼らが東から来た日本人だったとしたら再び日本に戻ったということも考えられます。
日本⇒海外⇒日本と移動した人々?②
都市伝説の一つに「日ユ同祖論」というものがあります。こちらはアッシリアに滅ぼされた北イスラエル王国に住んでいたユダヤ人(失われた10支族)が世界に離散し、その一部が日本にやってきたというものです。
これはこれで調べるとホントにいろいろな根拠があって興味深いお話なのですが、話が膨大になるのでここでは割愛します。
ちなみに一般的に語られている「日ユ同祖論」はユダヤ人が日本にやってきたというお話であって、その大元が日本に住んでいた人々だったという話ではありません。
歴史上ユダヤ人は様々なタイミングで滅ぼされていて、世界各地に離散しています。その人たちが様々なタイミング・ルートで日本に渡来した(帰ってきた)と考えると古事記に書いてある様々な不思議が解消したりするんです。
日ユ同祖論についても関連する神社はたくさんあって、これからも見て回ることになると思います。
そして今回の九州旅行で行ったのが「宇佐神宮」ね。
何故八幡神社と稲荷神社は朱いのか?
神社巡りをしている内に不思議に感じるようになったことがあります。
それは色です。
何で鳥居などが朱く塗ってある神社とそうでない神社があるのでしょうか?
調べてみると例外はあるものの、基本的に八幡神社と稲荷神社は朱く塗られていて、そうでない神社は塗られていないようです。
で、この八幡神社と稲荷神社はその成立に秦氏が深く関係しているといわれています。
この「秦氏」は「ユダヤの失われた十支族」の末裔だという都市伝説があります。この話が事実とすると秦氏が関与した神社の鳥居が赤く塗られている理由に説明を付けることが出来ます。
<ユダヤ人には門を赤く塗る理由がある!?>
(これまた自分では読んでいませんが)旧約聖書の出エジプト記に興味深いことが書いてあるそうです。どのようなことかというと・・・
ユダヤ人が奴隷となっていたエジプトからモーセを指導者として脱出する際、それを援護する意味で神様がエジプト中の初子を殺したそうです。その時誤ってユダヤ人の子供まで殺さないようにユダヤ人の家は目印として2本の門柱と鴨居を子羊の血で赤く塗って見分けがつくようにしたそうです。
これは後に「過越」として宗教的な記念日(お祭り)になりました。
ユダヤ人にとって「赤い門」は神様(が遣わした殺戮の天使)を避ける為のものという位置付けのようです。
一方、神社の朱い鳥居は魔除けの意味があると云われています。
ちょっとニュアンスが違いますが、何となく似てませんか?
神社巡り(歴史)の楽しみ方
私も当初はそうしていたように、歴史(神話)に出てくるような史跡を巡って当時に思いを馳せるというのは旅行の楽しみ方の一つだと思います。
ただ、神話のように大昔の事って資料が乏しいこともあって矛盾だらけだし、現代人の感覚では想像しても良く分からないことも多いので様々な想像を挟む余地があります。
なので「もしかしたらこんなことが起こってたんじゃないか?」なんてことを考えながら各地を巡るのもまた楽しみ方の一つなんじゃないかとも思います。
・・・というかそういうことを考える人が多いから都市伝説なんてものが生まれるんでしょうね。
私なんかが「もしかして・・・」なんて考えることはとっくに誰かが思いついていて、それに関する史跡なんかは探せばいくつも出てきたりします。
またそういった都市伝説や現代では偽書とされている古文書などについても、それを考察・解説するような動画がインターネット上には数多くあります(真面目なものからエンタメ寄りのものまでたくさんあります)。
歴史的事実からうさん臭い都市伝説まで・・・色々な話を組み合わせると行ってみたい場所ってどんどん増えていくんですよね。
何故かうさん臭い所の方が興味を引くのは私だけでしょうか?
コメント
伊勢神宮の心御柱とはイエスが貼り付けられた十字架らしいけどなw
いこうさん(でいいですか?)こんにちは。コメントありがとうございます。
伊勢神宮の心御柱については知りませんでした。ネット検索したらすぐ出てくるところを見るとそこそこ有名な都市伝説なんですかね?
伊勢神宮はなんとか今年の内に行ってきたいと思っていますが、その辺りも事前に調べてから行くことにします(地下だから見れないとは思いますが)。