パチンコ&パチスロの思い出(昔のパチスロは何が楽しかった?編)

趣味

世間はGWですね。コロナもあって私は相変わらず暇な日々を送っている訳ですが、こう暇だとパチンコにでも行こうかな?という考えが頭に浮かびます。ただ、もう止めたいとも思っていたりします。ちょうど最近はパチスロが6号機に入れ替わっていて、どんどんつまらなくなっているので何とか行かずに済んでいます。でも、そもそも昔は何であんなに面白いと思っていたんでしょうか?

昔のパチスロ機の思い出

ようやっと禁パチも2か月を経過しました。最近は特に打ちたいとも思わなくなってきましたよ。

打ちたいと思わないのは6号機がつまらないお陰でもあるわよね。

昔のパチスロは何が面白かったんだろう?

現在打ってる人は実感していると思いますが、今のパチスロ機(6号機)ってつまらないですよね。

娯楽だなんだと体裁を繕ってもパチスロはギャンブルですから、やはり一撃の出玉に上限があるとどうしても「夢が無い」となってしまいます(というかリスクばかりが大きくなってリターンが小さいといった感じでしょうか?)。

でも、よくよく考えると上限こそありませんでしたが、昔(Aタイプしか無かった頃)のパチスロって出てもせいぜい2,000枚位で、現行の6号機と大して変わらなかったのに面白かったんですよね。

単に始めたばかりの頃は様々なことが新鮮に感じて面白く感じていただけなんでしょうか?

ただ5号機、6号機で打った機種は最近なのに覚えていないものが多いのに、昔打った2号機、3号機はよく覚えてるんですよね。

よく覚えてるってことはやっぱり面白かったのかも知れませんね。

覚えてることを書きだしてみるとその辺りが分かるかもね。

パチスロ1.5号機の思い出

私が初めてパチスロを打ったのは1.5号機のトロピカーナ7xでした。

流石に1.5号機の終焉当たりの時期です。

1.5号機を打ったことがある人ってかなり少数派ですかね?その頃のパチスロってパチンコのおまけみたいな感じで、お店の端にちょこっと置いてあるだけってことが多かったですしね。

そういえば今は見かけなくなりましたが、繁華街に20台くらいしか機械を置いてないパチスロ専門店もありました。地元にあったそういうお店で換金所が近くの雀荘のカウンターって所があり妙に印象に残ってます。

規制も今とはかなり違いました。最大の違いは1ゲーム毎の時間制限が無かった事ですね。一連の作業を早くこなせばこなす程早く回せました。ただクレジット機能が無かったので、早く回すのは職人芸みたいなものが求められましたね。

それからこれは1.5号機だからって話ではないのですが、この頃(3号機位までだったかな?)は1つのパチンコ屋さんに設置されているパチスロ機は1機種か2機種といった感じで、ずらっと同じ機械が並んでいるのが普通でした。だから行くお店が固定されていると打つ機械が偏るといったこともありました。

トロピカーナ7x(メーシー)

私が当時行っていたパチンコ屋さんにはこれしか設置が無かったので必然的にこの台をよく打っていました。

当時は情報誌なんて見てませんでした(無かった?)のでリーチ目も分かりませんでした・・・というよりリーチ目という概念すら知りませんでした。ただこの機械はリーチ目もありましたが、何よりボーナスフラグが成立したゲームではレバーを叩いてからドラムが回り出すまでに一瞬の「遅れ」が発生するので当たりを察知することが出来ました。

この「遅れ」に気付いたときは大発見をしたって感じで「自分って天才かも!」みたいな気分になりましたね~(まぁみんな知ってたんですけどね)

とにかく情報は全く無かったので、こういった「発見」が楽しかったんだと思います。ギャンブルというよりゲームで攻略法を見つけていくみたいな感じでしたね(ちなみにこの機種はこういった要素が山盛りでした)。

ちなみにこれを打っていた頃は投資は多くて5千円って感じで、投資金額の面でもギャンブルというよりは娯楽みたいな感じだったように記憶しています(勝つ時も1万円も勝つことは稀って感じでした)。

一応天井もありましたが、3,000枚でしたから到達したことはありませんでした(そんなに打ち込んだことがありませんでした)。

そもそもデータランプとかなかったし、前の人がどれだけハマったかなんて分からなかったけどね。

パチスロ2号機の思い出

今調べたらパチスロ2号機って1988年からなんですね。私が初めて1.5号機のトロピカーナ7xを打っていた頃には既にあったみたいです。ただ上の方に書いた通り、その頃お店は台を一斉に入れ替える慣行があって、その頻度も今みたいに頻繁ではなかったので、自分の行動エリアでは見かけませんでした。

1.5号機から2号機への変化で一番大きかったのは今では当たり前の「50枚のクレジット機能」と1ゲームの時間制限が導入されたことでしょうか。あと「集中役」なんてものもありましたね。

ちなみにこの頃のベットボタンは今の様な1プッシュでmaxベットにはならず、毎回3プッシュするというものでした。これが身に付いたせいで後々maxベットが導入された後もしばらくは3プッシュする癖がなかなか抜けなかった記憶があります。

そういえば2号機では1メーカー当たり出せる機種が2機種までっていう中小メーカー救済的な取り決めもありましたね。

ちなみに2号機の全盛期は裏もの(違法基盤)の全盛期でもあるのよ。

リバティベルIV(ユニバーサル)

恐らく私が2号機で一番打ったのはこのリバティベルIVだと思います。

現在でもユニバーサル系の「7」絵柄はこのデザインが踏襲されてますよね。よく打ったせいか、この絵柄が今でも一番好きです。

ちなみにこの機種、当時はそれが「オカシイ」、「怪しい」なんて思わず、そういうものだと思っていましたが、ボーナスと集中役が3回セットになっている不思議な台でした(2回、1回の時もあり)。

1度ボーナスを引くと、その終了後5ゲーム目でボーナス、更にその5ゲーム後に集中役が当たりやすかったんです。しかも不思議なことにこの3回セットの当たりは「来る台」と「来ない台」がありました。

私の行動範囲のお店では大抵この台は3回のセット連荘をしていましたが、同じ店の中に数台しない台が混ざっていました(後ほど情報誌でその理由を知ることになります)。

当時は仲間内でその連荘が「来ない台」の情報共有をしたりして、「いかに有利に立ち回るか」なんてことをやっていましたね(今考えるとあまり関係なかったのかも知れませんが、連荘する台の方が勝てると思っていました)。

ちなみにこの台の兄弟機「リバティベルIII」はボーナス後11Gの倍数ゲームで連荘する台があったそうです(私の身近にはほとんど設置がありませんでした)。

唯一IIIが設置されていたパチンコ屋さんのは11Gで連荘しないノーマルバージョンだったみたいですが、1台だけあの有名な攻略法が出来る台がありました。その辺は別の記事に体験談を書いています。

アラジン(ニイガタ電子)

パチスロのアラジンというと4号機のアラジンAあたりが爆裂機として有名なんですかね?(私はその頃打ってないので知りませんが)ただ、2号機のアラジンも爆発力がありました。私の中ではパチスロが学生のお小遣いの範囲で出来る「遊戯」からバイト代まで総動員する本格的な「ギャンブル」に転じた台という印象があります。

Aタイプしか無い世の中で、ビックボーナスをおまけ程度の役にして、集中役をメインに据えたのがその理由なんですが、その集中役の突入確率がエグかったんですよね(設定1だと約6500分の1)。

ただ一度突入すると高確率でシングルボーナスが出現してあっという間にコインが増えました。ちなみに集中役の終了はビックボーナス(1/410)かパンク抽選(1/753)に当たった時だけですから、上手くすると5000枚とか一気に出ました。

ちなみに4号機以降は大量出玉の代名詞といえば「一撃万枚」という事が多かったと思いますが、裏基盤全盛期でも2号機の時は1万枚なんてまず出ませんでした(3号機時代の一部の裏物は万枚出ましたけどね)。

そんな中私がこの台で出したのは1撃7,000枚です(覚えていませんが、それまでの自分の最高出玉は2,000枚とかじゃなかったかな?)。当時都内の交換レートは7枚交換が主流でしたから、換金額が10万円!

10万円という金額を財布に入れたことすらない学生の時の事ですから印象深い出来事でした。ちなみにあまりの大金(当時の自分基準)を換金所で受け取った為、直後に強盗に合うのではないかなんていらない心配までしましたね(笑)

そして、私の記憶では「セット打法」なるものが雑誌に登場したのはこの台辺りからだったんじゃないかと記憶しています。現在の「子役を取りこぼさないように打って機械割を上げる」といったまっとうな攻略法と違って、ゲームの裏技的なものを発見すれば大勝ちできるかも?という夢があった時代の幕開けですね(当時はそう思っていましたが、今考えると違法なものを発見して不正をして勝つみたいなものです)。

ただ、色々試したりしてその夢を追うのは楽しかったですね。

<昔のパチスロ筐体は個性的だった>

ふと上の「アラジン」の写真を見ていて思い出しました。ストップボタンの右側にあるオレンジ色の丸いボタン(大きい方)はベットボタンですね。今の機械だとこんな場所についていることはまずないでしょう。当時はこれはこれで押しやすかったという記憶もあるんですが、いつの間にか全メーカー同じ場所になりましたね。

そんなことを思い出していたらもっと個性的な台を思い出しました。

当時でも結構マイナーな台ではありましたが、この台はリスキーダック(タイヨー)です。

何故この台が「個性的」かというと・・・なんとレバーが右側にあるんです(コイン投入口も右側)。まぁとにかく打ち辛かったんですよ。左側にあるものと思ってレバーを思いっきり空振ることも多々ありましたね(これがまた恥ずかしかったんです)。

情報格差が面白さを形成していた?

上記には「セット打法」みたいな極端な話を書きましたが、2,3号機の頃はインターネットもありませんでしたし、雑誌も見ている人の方が少なかったですから情報の格差がものすごく大きかったです。

その格差を利用して「如何に有利に立ち回るか?」といったことを考える余地も同じように大きかったんです。そういったことを考えるのが楽しかったのかも知れません。

今ですと新台が出る前から「ボーナス確率」やら「機械割」やら、「設定差がどこにあるか」みたいな情報が簡単に見れますからね。ある意味全員に等しく情報がある時代です。

だから「他人を出し抜く」余地が少ないんですよね。ちなみにギャンブルは「他人を出し抜く」ことに醍醐味があるものだと思います(全員勝つことは出来ないモノですからね)。

最近の台がつまらなく思えるのは6号機の仕様のせいだけじゃないのかも知れませんね。

まぁパチンコ、パチスロはギャンブルじゃないんだからそれで良いんじゃない?

ちなみに、この記事は個別の台の思い出を書いていこうかと思っていたのですが、1機種ごとに書きたいことが沢山あって書ききれませんでした(上にあげた機種でさえ書き足りない)。

なので3号機には触れられませんでした。パチンコ関連の記事はアクセスが多かったり少なかったりでニーズがあるのかが分かりにくいのよね。多かったらまた別に書こうかと思ってるわ。

コメント