意外に?読んでくれた方が多かったパチンコに関する昔ばなし。調子に乗って第二弾です。やはり楽しかった思い出はよく覚えていますからその辺りを書いてみようかと思います。私にとってパチンコで楽しかった(=勝っていた)のは新装開店での話になりますね。
昔の新装開店は色んな意味で面白かった!?
このブログの趣旨から外れた記事だったので、アクセスが悪いかと思っていましたが、前回の記事は意外に多くの人に見て頂けました。
アクセス数そのものは他の記事と同じくらいだったけど、ページの滞在時間が結構長かったのよね(最後まで読んで頂いた方が多かったのかしら?)。
ちなみにこの記事では「パチンコはどうあるべきか?」といった難しい話をするつもりはありません。単に、「今考えると信じられない様な事もあったな~」と、当時を知ってる人には共感を、その頃を知らない人には単なる昔ばなしといった内容になります。
新装開店は戦場だった!
パチンコ屋さんの新装開店・・・今でもありますが昔は意味合いが異なりました。
イベント規制の影響だと思いますが、最近の新装開店っていつの間にか台が入れ替わっていて、下手するとどれが新台なのか気付かない位地味ですよね(大きな店舗だと違うかもしれません)。
ただ、昔は違いました。
私のパチンコに関する記憶の中で大半を占めるのはやはり新装開店に関するものです。
まぁそれだけ派手だったんですよ。
勝てるから人も多いし、お金が絡むからトラブルも多かったわよ。
昔の新装開店はとにかく「勝てた」
私がパチンコ&パチスロを一番よく打っていたのは学生の頃ですが、その頃のパチンコ屋さんの新装開店はとにかく勝てました。
私の場合、取り合えず大学4年間の学費と小遣いは全てパチンコで稼いでいました(大学は公立だったので大した額ではありませんが)。そのお陰で大学時代はアルバイトをした経験がありません(それはそれでもったいなかった気もしますね)。
そしてその勝ちのほとんどは「新装開店」で稼いでいました。
新装開店ってそんなしょっちゅうやらないでしょ?
ちなみになんで新装開店は勝ちやすかったか?という事については別の記事で書くかもしれません(店、メーカーぐるみのインチキのことです)
口コミを駆使して新装開店回り
当時の新装開店は店側も気合を入れて出していましたから、そんなに頻繁には行われていませんでした。そもそも昔はパチンコもパチスロも島単位で入れ替えていましたから頻繁に出来なかったんです。
なので毎日のように新装開店のお店で打つことは困難だったのですが、工夫して打てるようにしていました。
当時パチンコ屋さんの新装開店は派手でした。店の前には前日から花輪が並び、パチンコをしたことが無い人でも一目で新装開店ということが分かりました。それを利用して大学のクラスメイトに呼び掛けて、通学経路にそういう店があったら教えて貰っていました。
これを数十人規模でやるだけで毎日とは言わないですが、週に2,3軒のお店を回ることが出来ました。
今でいう軍団みたいなもの?
実際その頃は「開店プロ」ってのがいて、同じシステムをもっと大規模にやってたよ。よく顔を合わせたから誘われたこともあったけど、断りました。
若い時って色々無茶できますね
今振り返ると「昔はよくそんなこと出来たな~」なんて思う事が多いですよね。
私の場合は上記の新装開店回りですね。大学が八王子の方にあったのですが、そこにアクセスする京王線、横浜線沿線にあるパチンコ屋さんには全て行きましたし、クラスメイトの地元の店も含めると行動範囲はやたら広かったです。
当時の新装開店は18時開店が多かったのですが、移動や並びも含めると14時~23時位はパチンコに割いてました。
実際一番勝てたのは新装初日ではなく、14時開店、12時開店と徐々に営業時間が長くなっていく時なので拘束時間はもっと長かったんですけどね。
今じゃ勝てると分かっててもそんなこと出来ないわね。
開店ダッシュは命懸け!?
現在私の身の回りにはそういうお店がありませんが、今でもよく「出る」店は朝から行列が出来るみたいですね。ただ、昔の新装開店はそんなレベルの「出る」じゃありませんでした(当然例外もありましたが)。なので当然大勢の人がやってきました。
その大勢のお客は今のように店のスタッフによって整列させられたり、入場整理券を配られたりすることはありませんでした。開店時間が近くなると入り口付近に無秩序に人が溢れ、店のドアが開いた瞬間に大勢の人が店内になだれ込むというのが一般的でした。
全体的に勝ちやすいとはいえ、台によってその確度、金額が変わってきますのでみんな美味しい台に向けて猛ダッシュします(一番が今はもう無い一発台、二番がパチスロって感じでした)。
そんな中、私が見た一番ショッキングな事件は、店の入り口の結構ぶ厚いガラスの扉が人の波に押されて粉々に砕け散ったことですね。あれガラス戸と後続の人に挟まれた人は下手すれば大怪我したんじゃないかな~
パチンコといえば何となくお年寄りが多いイメージがありますが、当時はこんなでしたから新装開店に限っては学生が圧倒的に多かったですね。
地元のや〇ざ風の人もいて、喧嘩になってたりもしてたわね。
殺伐とした雰囲気に一服の清涼剤?
ある訳ない・・・と思ってイラスト屋さんを検索したら、1つありました(ちょっとびっくり)。
恐らく私と同世代(現在50前後)の方は子供の頃に見たことがあると思いますが、若い人だと見たこと無い人の方が多いでしょう。
「チンドン屋」です。
私が子供の頃ですから40年前位でしょうか?商店街なんかでたまに見かけました。当時でも既に珍しい存在で、子供は自然とその行列についてってしまうような楽し気な広告屋さんでした。
そんな「チンドン屋」ですが、私が最後に見たのはパチンコ屋さんの新装開店でした。何回も遭遇したので私の中ではパチンコの新装開店ってチンドン屋のイメージと重なります(特に音楽が)。
賑やかに楽器を奏でるチンドン屋のすぐ横で上記の様な壮絶な台取り合戦が繰り広げられていました。
シュールな感じね。
戦い終わって日が暮れて・・・祝勝会は何故かミスド
学生の頃、上記の様にパチンコ屋さんの新装開店を色々回っていたのですが、大抵は数人で行っていました。「勝ちやすい」と言っても100%勝てるわけではなく負けることもあります。
そんな人の救済措置が祝勝会でした。何人かで行けば一人は絶対大勝ちするというのが当時の新装開店でしたから、仲間内ではその日一番勝った人が全員に晩飯を奢るというのが暗黙の取り決めでした。
ただ、パチンコ屋さんが閉店するのは22時や23時、特に大盤振る舞いのお店だとその後の換金に行列が出来て30分待ちなんてのもざらでした。そこで問題になるのが祝勝会の会場でした。
というのも当時は深夜まで営業している飲食店がほとんど無かったからです。で、我々の行動範囲では祝勝会の会場がミスタードーナツになることがやたら多かったんです(付け加えると当時のメニューは甘いドーナツしかありませんでした)。
今はいくらか知りませんが、当時ドーナツは1個100円程度でした。
勝った人は数万円単位で勝っている訳ですから「何個食べても良いよ」となる訳です。でも、ずっと何も食べず、コーヒーとタバコだけで夜中まで過ごした後に甘ったるいドーナツなんて食べたくなるはずがありません。
でも、負けた時は「ここで回収しなければ!」という謎理論が働くのでたくさん食べましたね。大抵後で気持ち悪くなるんですが・・・
今でもドーナツって敗北の味なんですよ。私の場合。
あと、ドーナツ≒胸焼けってイメージもあるわね。
情報が得やすくなり過ぎるのも考え物?
上記の様に私は学生時代にパチンコばかりやっていたのですが、仲間と共に行動していたこともあり楽しかった思い出が沢山あります。
そしてその「楽しさ」はやはり「勝つ」ことによって支えられていました。そもそも負けてたら続けられませんしね。
その「勝つ」ことは上記の様に情報を武器にしていたからこそ得られていました。その「してやったり感」というか、人がやっていないちょっとした工夫をすることでお金を得るという事自体が楽しかったのかも知れません(大昔に伝書鳩を使って遠くの国の相場情報を先取りして大儲けした人みたい?)。
今はインターネットで様々な情報が誰でも容易に手に入ってしまう時代ですから、情報は持っていて当たり前で、人と差をつけるのが難しくなっていますよね。
そういう意味では「勝つ」ことは難しくなっているんだと思います(多くの人が平等に負けている)。
こういう視点で考えると、パチンコは賭博(ギャンブル)から娯楽に変わってきていると言えなくも無いですね。
入店時に怪我をする心配も無いですしね。
ってか店に入るだけで命の危険があるって少なくても昔のパチンコは娯楽じゃないわよね。
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