理想のセミリタイア生活とは?

セミリタイア生活
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セミリタイア生活は時間に余裕がある・・・というより有り余るので色々なことを考えたりします。大昔のギリシア人がそうであったように、時間が沢山あると人は哲学的なことを考えるのでしょうか。私も最近はセミリタイア生活とはどうあるべきなのか?なんてことを考えたりしています。

セミリタイア生活には「こうあるべき」という姿があるのか?

お話するまでも無く、セミリタイア生活の理想形なんてものはありません。

人によって違うのはもちろん、自分にとっても「こうあるべき」という姿は時間と共に変わっていきます。

自堕落な生活は必ずやって来る!?

セミリタイア生活にも多少の制約はありますが、基本的にほとんどの部分が「自由」です。人に迷惑をかけない範囲であれば毎日何をしてても、何もしなくても誰も文句は言いません。

恐らくセミリタイア生活を目指している人は、「セミリタイアしたら、毎日趣味の〇〇を好きなだけやろう」なんて考えるでしょう。考えるだけでワクワクしますよね。

私も最初の頃はそんな毎日だったのですが、その内時間が莫大にあり過ぎて、ルーティンになっている行動以外にすることが思いつかなくなり、何もしない日というのが結構増えてきました。特にコロナによる外出自粛となった今年はそれが顕著になりました。

毎回きっかけみたいなものは有ったり無かったりしますが、一度そうなったら「何もしない日」というのは連続しやすかったりします。

まぁ一言でいえば「自堕落」な生活に陥ることが頻繁にあるって所ですね。

「毎日忙しく働く」のと真逆という感じもするわね。それが目指すべきセミリタイア生活なのでは?

膨大な時間は人を哲学者にする!?

古代のギリシア人は奴隷を使っていたので、労働は一切していなかったそうです。で、暇だったから哲学が発達したと言われています。

まぁそんなレベルとは全く違いますが、私も何もしない「自堕落な」日を過ごしている時に良く哲学的なことを考えたりします。

まぁ主に「いくらセミリタイアしているからといって、こんなに時間を無駄にして良いのだろうか?」ということが中心ですね。

時間の浪費は贅沢か?はたまた単なる無駄遣いか?

結構前に書いたことがありますが、私を含め一般的な人間は「自分の時間」を会社などに切り売りして糧(お金)を得ています。人によって単価は変わってきますが、「時間」=「お金」なんですよね。

だから、時間を浪費しているという事は、お金を浪費しているということでもあります。

それが「たまの休日に公園のベンチで寝転がりながら本を読む」なんて使い方なら贅沢な過ごし方といえなくもないでしょう。

でも、それが「毎日のように続く」、「自分の時間の大半を占めるようになる」と、それは果たして「贅沢」なのだろうか?それとも単なる「無駄遣い」なのだろうか?と考えるようになってきます。

ちなみに、前にこういうことについて書いたときは「時間の浪費」を肯定的に捉えていました。

要するに結論は流動的で、その時々で捉え方は変わって来るってことね。

無駄となれば、どうすべきか?

当然、こんなことを考える訳ですから「現状に満足してない」わけです。となれば否定的な考え方である「無駄遣い」であるという考えの方が優勢になってきます。

となると、次に考えるのは「ではどうすれば良いのか?」となる訳です。

それは最終的には「セミリタイア生活はどうあるべきか?」ということが主題になって行きます。

人の「生き方」に正解はありませんから、当然答えはでません。ただこんなことを何度も考えるだけです。

簡単に言えば「毎日暇だからやることを探したい」ということなんじゃないの?

もしかしたら、人は「やらなければならない事」を欲してるのかも

仕事をしていると、それが楽しくて自分から自発的に働いていても、嫌々で強制的に拘束されているような感じでも、毎日何かしら「やること」はあることになります。

そういう環境下だと、毎日働くのが当然なので意識することは無いと思いますが、一日の大半を没頭できることがあるという観点からは「幸せ」といえるかもしれません(上記の様に結論が出ないことをずっと考えていることに比べれば?)。

ちなみに最近私がはまってることは「田舎暮らし」に挑戦している人の動画(YouTube)を見ることです。最初は単に面白そうだな~と見ていたのですが、最近気付きました。

「田舎暮らし」って当然都会の生活に比べると不便ですよね。毎日「やらなければいけない事」が多いんです。

例えば畑の世話だったり、DIYで家を修繕したり、場合によってはお風呂を沸かすのに薪に火をつけたり、こちらの生活だと機械任せにしているものを時間をかけてやっていたりします(逆にそれを楽しんでいる?)。

それって生活するために「やらなければならない事」なんですよね。それが「田舎暮らし」だと沢山あるみたいです。

もしかしたら私は強制的に「やらなければならないこと」を欲しているのかも知れません。

その内ホントに田舎に引っ越すんじゃないの?

人は現状に満足できない!

それにしても人間ってどうしようもなく贅沢に出来ていますよね。

なにせ「現状に満足する」ということが出来ません。常に一歩上の生活を目指し、それを獲得しようとあがくことになります。

働いている時は「自由な時間」を求め、いざ「自由な時間」が得られれば、その時間を「有効に使いたい」と考えるようになる。それは(会社ではなくても)働くことを意味するのかも知れません。

上に書いた「田舎暮らし」も、したらしたで、自由な時間を作るためにより便利な都会の生活に憧れるのかも知れません(これが衝動的に行動しない一番の理由ですね)。

以前何度か「隣の芝生は青く見える」という感じの記事を書きましたが、これはもう人間の本能なんでしょうね。

なんか日々の愚痴みたいなことを書きましたが、「セミリタイアするとこんなことを考えることも増えますよ」ということをお伝えしたかったんです。

毎日ゴロゴロするのは忙しい中に数日あるから楽しいのであって、毎日だと絶対飽きるわよ。

「セミリタイア生活」に対する考え方は時と共に変わってきたりしています。一応そんな考え方がどう変わっていったかが分かるように、関連記事はサブカテゴリーを設けてまとめています。よろしければ時系列に沿ってご覧ください。

コメント

  1. 寝太郎 より:

    ブログを拝見させて頂きました

    セミリタイアを検討しています
    資金面では十分対応可能ですが、本記事で記載されていた事が気になって踏み込めていません

    多少の趣味はありますが、365日没頭出来る程でもなく
    毎日色々な事にチャレンジする程の資金力も無い

    本当に会社を辞めて良いのだろうか?
    幸せになれるのだろうか?
    と自問自答しています

    • 東郷 潤 東郷 潤 より:

      寝太郎さんコメントありがとうございます。
      あくまでも私の場合、という話ではありますが、当記事に書いた様な状態・心情になることは結構多いです(特にコロナ後)。
      恐らく寝太郎さんもセミリタイアを検討する上で、時間をどう使うかは色々想像されていると思います。
      ただ、それでもいつかは時間を持て余すことがあると思います。
      そんな時どう対処するか?次々趣味なりを増やしていけるか?(歳を取ると好奇心は衰えていきます)もしくは何もせずぼーと時間を過ごすのが楽しめるか?どうしようもなくなった時の逃げ道は?
      何てことも想像しておくと良いかもしれません。
      年齢にも拠りますが、セミリタイアは一方通行で、嫌になったらまた会社員という道が困難です。
      多角的に検討することをお勧めします。
      もちろん今回の件は私の場合ですから、他のセミリタイアした方のブログなども参考にすると良いと思います。

      頑張ってください。

      ※私のブログもそうですが、お金に関する話にPVは集中しますから、こういった話を書いている方は少ないとは思いますが。