【神社仏閣巡り】須佐之男命が住んでいた!?須我神社と須佐神社

神社仏閣巡り、散歩・ドライブ
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古事記(の解説本)を読むと色々な話に絡んでくる須佐之男命(スサノオノミコト)。どうしようも無い暴れん坊かと思いきや、勇敢に化け物を退治したり、一方で日本で初めて和歌を詠んだりと多才で魅力的な神様です。その神様が住んでいたと伝えられる神社があると聞けば行ってみたくなるというものです。

須佐之男命が最初に住んだ宮!?須我神社

須佐之男命が八岐大蛇を退治した話は有名ですね。そして退治した後は助けた櫛名田比売(クシナダヒメ)と結婚します。

結婚後に二人が最初に住んだところが須我神社という訳ね(正確には二人が住んでいた跡地が神社になった!?)。

<主祭神>

  • 須佐之男命
  • 櫛名田比売(奥さん)
  • 八島野命(子供)

神様の名前は様々な漢字を当てるケースがありますが、ここではこの表記でいきます。

神社のHPでは奥さんは「櫛稲田比売命」としているわね。

須我神社への行き方

地図を見ると分かりますが、結構辺鄙な所にあります。私は出雲大社から車で向かいましたが、大体1時間位かかりました。

電車・バスだと松江駅から大東駅前行きのバスに乗って「須賀」(須我ではないので注意)バス停で下車(乗車時間約40分)すると徒歩3分程らしいです。なお、このバスは1日7~8本(2時間間隔)しか運行されていないので予めスケジュールを確認してから行った方が良いかと思います。

境内散策

私が古事記を読んで最も興味を持った神社の一つなんですが、あまり人気は無いのかも知れません。駐車場も小さく、私が訪れた時も他には1人しかいませんでした。

まぁひとつ前に立ち寄った出雲大社ですら人はほとんどいなかったけどね。

神社正面

見ての通りそれほど大きな神社ではありません。

回りも住宅街というより、民家がポチポチあるといった場所ですね。

手水舎

あまり人がこないからでしょうか?

出雲大社ではコロナ警戒で柄杓が置いて無かったですが、こちらは普通にありました。

拝殿

こじんまりしていますが、拝殿両脇にそびえたつ杉は相当な樹齢がありそうです。

ここが八岐大蛇を退治した後、須佐之男命が櫛名田比売と住み始めた家(宮)なんだそうです。

これが日本で初めてできた宮であり、この神社の特徴の1つ「日本初の宮」と言われている由縁です。

出雲大社の様なでっかい神社と違って、「ここに須佐之男命が住んでたんだよ」って言われると何となくそうかもねって思えるほど自然な感じがありますよね。

ここに来た須佐之男命が「すがすがしい」といったから地名が須賀になったと伝えられているそうだけど、確かにそういう雰囲気はあったわね。

そしてこの神社を特徴付けるもう一つの要素はこれ。

この地に住んで須佐之男命が読んだとされる日本で最初の和歌です(この神社は和歌発祥の地とも言われています)。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を

妙に頭に残る良い歌よね。高天原で暴れ回って姉の天照大御神を困らせた神様が読んだとはとても思えません(この辺りのエピソードは昔まとめてありますのでよろしければご覧下さい)。

本殿

実際住んでたとすればこちらが本宅になるのでしょうか?

神様が住むにしてはこじんまりしているとも思えますが、庶民っぽいイメージも逆にリアルさがあったりします。

狛犬

ちなみにこちらは狛犬(右側なので正確には獅子)です。

風化してあちこち修復した後があり、相当古いものっぽいですね。ちなみにこの神社がいつから存在するかは調べても分かりませんでした。

奥宮も参拝!

須我神社には奥宮があります。

神社から歩きでも行けるみたいだけど、結構あるから車で行った方が良いと思うわ(バスで来てる人は時間が読みずらいかもしれないわね)。

<車での行き方>

神社正面に向かって右側(上の写真だと手水舎の右側)から入っていってずっと道なりで5分程で着きます(途中案内の看板がいくつか出ています)。

この道は結構脇道が多く分かりにくいかもしれませんが、一番太い道(といっても細いんですが)を道なりに進むと着くと思います。

私は最初神社のすぐ裏手の山の事だと思って、そっちに向かうとてつもなく細い道に入っていって、危うく引き返せなくなるところでした。

奥宮入り口

入り口には看板が立っています。

駐車場はその5m位先の道が太くなったところになります(駐車場を示す看板などは一切ありませんでした)。

何故丁寧に杖が用意されているか深く考えるべきでした・・・

実はここから結構山を登ります(靴の選択には注意しましょう)。

神泉坂根水

登り始めてすぐにあります。

ここで身を清め霊気を頂いてから参拝します。

というか、既にここでぜぃぜぃ言ってて暑かったから、全身を清めたかった位です。

顔までにしといてね・・・

山道は続くよ何処までも・・・

結構急な山道が続いて疲れも限界を迎えつつある中、追い打ちの急斜面。

和歌発祥の地にちなんで、歌が刻まれた石碑が点在しているのですが、読んでる余裕は全くありませんでした。

ちなみに私が訪れたのは午後3:30位でしたが、ずっと薄暗い道が続きます。

当然街灯なんかないから、暗くなる前に降りてこないと危ないわよ。

奥宮到着

奥宮には巨石が3つ並んでいます。

それぞれ須佐之男命、櫛名田比売、八島野命に見立てられています。

ちなみにこの脇からこの山(八雲山)の頂上まで登れるそうです。

とてもそんな余裕はありませんでした。

八雲山

降りてきて改めてこの八雲山を眺めると、なんだか吸い込まれそうな奇妙な雰囲気を感じました。

写真だと分からないと思いますが、なんか不思議な感じだったんですよね。

ちなみに私はここから登って参拝して降りてくるまでに大体30分かかりました。

写真の時刻を見ると確かに30分しか経ってないんだけど、実際はもっと長かったように感じたわ。

須佐之男命が最後に住んだ宮!?須佐神社

こちらは須佐之男命が最後に住んだと伝えられてる神社です(出雲国風土記にそう記されているそうですが、私は読んだことが無いので詳しくは分かりません)。

この頃の神様には寿命が無いはずだから最後ってのも変な話だけどね。

<主祭神>

  • 須佐之男命

<配祀神>

  • 櫛名田比売
  • 足摩槌命 (あしなづちのみこと:櫛名田比売の父親)
  • 手摩槌命 (てなづちのみこと:櫛名田比売の母親)

ちなみに須佐神社の宮司さん(須佐氏)は手摩槌命の子孫だそうです(須佐之男命の親戚?)

須佐神社への行き方

私は須我神社から車で向かいましたが、大体50分かかりました(こちらも結構辺鄙な場所にあります)。

電車・バスだと出雲市駅から出雲須佐行きのバスに乗って「出雲須佐」バス停で下車(乗車時間約40分)。その後タクシーで5分程らしいです(出雲須佐にいつもタクシーがいるのかは不明)。

なお、このバスは1日5~7本(2~3時間間隔)しか運行されていません。ぶっちゃけそれ程見る所が多い神社でもないのでバス・タクシーで行くと時間を持て余す可能性が高いと思います。

境内散策

こちらは須佐之男命が自らの名前を土地に付けたと言われています(住所は出雲市佐田町須佐)。

基本的にこちらの神社については古事記ではなく出雲国風土記に書いてあるみたいね(なのでよく知らないの)。

入り口

こちらもそれほど大きな神社ではありません。

実はこちらの神社は須我神社を調べている時に出てきた神社です。

元々古事記に所縁のある神社を回ろうと計画していたので、そこからすると本旨からは外れた神社という事にはなります。

拝殿

拝殿も結構シンプルな作りになっています。

本殿

こちらも現物をみてから、「ここに須佐之男命が住んでたんだよ」と言われるとちょっと「そうかな?」って感じになっちゃいますね。

ただ、この神社は元々宮尾山山麓にあったものを西暦 824~833頃にここに遷したと伝えられているので、少なくとも須佐之男命はここには住んで無かったみたいね。

本殿裏の御神木

本殿裏には杉の御神木があります。

この御神木は神社が遷されてきた時からあるそうです(なので樹齢は1000年を越えていると考えられているみたいです)。

道路を挟んで反対側に境内社の天照社がありますが、須佐神社自体はこのほかに見る所はほとんどありません。

私もここに着いたのが夕方の5時過ぎだったので、帰りのことも考えてすぐ切り上げてしまいました。

須我神社、須佐神社へ行ってみての感想

多少町外れにあるとはいえ、出雲大社の周りは人も沢山住んでいるような地域ですが、須我神社や須佐神社は人がほとんど住んでいない山の中にあります。

なので道中は川沿いの道や山道を長い間走ることになるのですが、八岐大蛇ってこんなところにいたのかな?とか、そもそも八岐大蛇って何を指してるんだろう?(盗賊団を化け物に例えているという説もありますね)なんてことを考えるのも面白かったです。

また上にも書きましたが、実際神社を見て「ここに住んでたんだよ」と言われると、それが神話(少なくとも神武天皇の時代より前のことなので2600年以上前!)の時代の事であってもリアルに感じられて不思議な感じでした。

個人的には有名な出雲大社よりも須我神社の方が感慨深かったですね。

行くのがちょっと大変だけどね。

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